*私と犬の物語本的に、少しずつ書いていきます。良かったら読んでください。
初めて、生後30日位の犬の赤ちゃんを見た時の感情は、今でもはっきりと覚えています。
それが、私の犬という生き物に初めて感じた、愛しいという感情です。
家の近所の運送屋さんが飼っていた雑種から産まれた子犬達でした。
白ベースのカラーに黒班の有るパピーで、可愛くて可愛くて、学校に行く前、下校してからも、毎日通い、許可をもらって、時に公園に連れ出し、抱っこしては、たかいたかいを繰り返してみたり、どう扱って良いのかも分からないまま、可愛いという感情をどう抑え、愛しいという感情をどう自分で処理したら良いのか、全く分からないまま、親にもそのパピーが堪らなく可愛くて愛しいという感情を話す事が出来ませんでした。
今だから、愛しい、という表現が出来ますが、当時の私には、可愛くて堪らない、そう思う事が精一杯の胸の内です。
飼いたい、欲しい、お願い、そう何度か親に、お願いしましたが、
答えは、駄目、面倒みれる訳がない…
いくら言っても、お願いしても、犬を飼う事を許してくれる親ではなかったです。
あの時に、大切に飼い、面倒みれるのか?
そう、親が、言ってくれ、飼う事を許してくれていたら、私の人生は間違いなく変わっていただろうと思います。
一人の人間として幼少期に初めて感じた生き物への愛しいという感情…
私の親は、そこに気付く事、出来なかった。出来ない人間だったんですね
愛しいという感情を抱く事が出来た我が子の、
愛情という芽生えを、
気が付く事出来ない親ってどうなんだろ?
反面教師ですね、私は、そう言う、子供の芽生えというものに気が付く親に、人間に、成りたい、成る、そう思うように、成人になる頃には思っていました。
この出来事が、私の人生の中で、犬への憧れを不動のものにした事、疑い様のない事実です。
ここから、犬と私の、喜怒哀楽人生がスタートしたのだと、思います。
私は、一人っ子として育ち、いつも、兄妹がいる同級生や近所の幼なじみに憧れ、半世紀を生きてきた今でも、その憧れは強く持っています。
兄妹への憧れが、現実にならない私には、人間に身近な犬は、格好の兄妹となりうる存在だったんですね
だからこそ、犬は憧れに成った!
ごくごく当然の成り行きです。
飼えない、買ってもらえない、拾って来ても飼う事を許してもらえない、
そんな私に許されるのは、図鑑、唯一犬の写真や紹介が載っている本、ただし、犬の専門書は買ってもらえなかった。
哺乳類動物全般を網羅してある図鑑、そこに僅かに書かれてある犬というカテゴリーを毎日眺め読む、犬に関する書物を本屋さん、図書館で見る事が、当時の私の感情を抑える手段だったと言えます。
ボクサー、ドーベルマン、とても憧れました。
小さなボクサーのフィギュア、3㎝、4㎝程度のモノですが、手に入れた時は、もう嬉しくて嬉しくて、それが私の小学生低学年の時の愛犬と成りました。
毎日、布団に入り、寝る前の日課は、犬と遊ぶ、小さなフィギュアボクサーを連れて散歩に行く、妄想劇場が始まる訳です。
独り言を言いながら、時に、命令したり、時に大人の悪人を退治したり、時に、カッコいい犬だねー、なんて言われて返事してみたり、野良犬とケンカしてみたり、時に警察犬になってみたり、そんな、いつか、妄想じゃなく、現実に飼える日を夢みて、毎日妄想劇場をしながら眠りにつく事が、小学生低学年時の、まだ見ぬ犬との喜びを妄想する、犬が与えてくれた、喜怒哀楽の喜です。