時は、昭和63年、日本は俗に言うバブル景気に向かって、街並みや人々は華やかに彩られてました。



当時将来の不安など考える人は少なく、薔薇色の未来を華やかな明日を夢見て、日々暮らしてました。



当時、大学生であった長瀬 望もその一人であった。



年齢は21歳春。ちょうど就職活動を始めたばかりであった彼は、活動しつつ”おかしい”と感じ始めていた。



お金の価値の変化であった。



昭和63年当時大学生の持つ所持金といえば、1ヶ月の生活費10万円も使っていなかった。



しかし、会社1社入社試験受けるたびに、往復の交通費+宿泊費+食事代が支給された。



望は、理系大学を卒業予定だったため、大学の教授から企業の研究室を紹介され、卒業論文の制作の傍ら



東京・大阪に本社のある企業の試験・面接を受けた。



試験・面接は、今の学生からは考えられないほど簡単で、終わって帰る頃には”合格”の結論が出ていた。



中には、業界大手の会社もあったが・・・・・・・



苦労して勝ち得たものでない故に、あっさり断り・・・・・



結局のところ、7月まで活動という活動をしないまま、日々をすごしていた。



その頃ゼミの講師の会沢さんから、


「長瀬君、就職どうするのかね?教授が推薦したところ、全部断ったのだろ?そろそろ決めないと問題になるから、就職相談室に行ってそうだんしたまえ。」


長瀬は、しぶしぶ


「わかりました。気に入るところがあるか見てみます。」


と、重たい足取りで大学構内の学事課奥にある就職相談室のドアを叩いた。


長瀬がこの扉を叩くのは初めてで、緊張したまま相談室に入った。



相談室の先生は

「教授から聞いてます。推薦もらえてそれを全部断るなんて、いい度胸してるわね。今からだと、企業の内内定がほとんど決まっているから、余り選べないけど・・・そこの棚にあるのが全部だから・・・・」



書籍棚には、所狭しと就職案内が・・・・高さ180cmくらいの4段の棚には、選びきれないほどの案内が来ていた。



これから、長瀬にはその内容の確認や1社づつ試験開催状況を確認しなければならなかった。



苦痛の時間であった。



しかし、長瀬自身も両親から再三、就職についての決めるように電話が入っていた。



長瀬の親は、高校の教師をやっており、人一倍世間体を気にするほうであった。



長瀬はそのことが、人一倍嫌だった。



そういう理由があって、故郷を離れ東京の大学に入学したのだった。両親の呪縛から、一刻も早く離れるために・・・・



就職についての電話が、無くなるのであれば・・・・と考え、早めに決めようと思っていた矢先であったから、



真剣に1社1社内容を見た。



将来性・職種など・・・・その中で、気になる会社があった。



その会社は、東京石油㈱という石油商社で規模的には学生にしてみれば、中堅規模の会社であった。



長瀬の気を引いたのは、理系といえば研究の職が求人のほとんどを占める中で、東京石油は理恵系の営業を募集していた。これが、入社試験を受けるきっかけとなった。



入社試験は、最終が残っており東京石油に電話した翌日、人事の係の茂木さんと面談し、その2日後入社試験と面接があった。



実は、履歴書なども面接のときに持っていくほど、急な試験と面接でした。



時は、バブルの絶頂期を迎えようとしていた。東京石油の株価も、同業他社と並んで最高値を更新していた。



みんな夢を見ていた。現実の世界も将来の世界も・・・・



面接から3日後、合格の電話があり、東京石油への入社を決めた。



ここから、長瀬の社会人生活がはじまった。



この物語は、長瀬望の会社人生の記録です。



人物名・会社名等は、実在しないフィクションで構成されております。