久しぶりに更新する。友人にまだ更新しないのかとせっつかれていたので、ようやく更新ができて、またしばらくは休んでいられるか?と安易に考えている。この間、別の法人の集まり(というか、単なる遊び?)があって、由仁町に行くことになった(これを打っている時には、もう帰ってきたので、行ってきたというのが正確ですね)。そんなことで、今回はまじめな話というよりは、そこで、気付いたこと‐結局は固い話になりそうだ-を書いていこう。
さて、そこに集まっている法人は「カンキョー」にかかわる団体で「もったいネット」というNPO法人である。この団体には、私がヨベルにいた頃から、そこに関わることになってしまい、今日に至っている。まぁ、私自身がそこに集まっている方たちに、惹かれるというか、魅力のある人たちなので、関わっているのだろう。よく考えてみると、この「関わる」というのは、簡単なようで、難しくもある。
私たちは、日々、誰かと関わっているのであるが、その中でも、関わりたくない時や、関わりたくない人、距離をとりたい人、あるいは、近づきたい人等、様々な人たちとそれぞれの付き合い方をしていると思う。そうして、関わる時は、当たり前であるが自分の時間を費やし、時には気を使ったりもする。だから、時にはそういうものから逃れたい人もいれば、積極的にそうしたい人がいると思う。
ただ、私たち支援員は、福祉に関わる人たちは「関わりたくない」時でも、関わらなくてはいけないし、関わりたくないから「関わらない」ということが、あまり出来ない(時には疲れた・・・と思うこともあるが)職業だと思う。だから、人にあまり関われない人は、この職業に向かないといわれるであろうし、関わるように努力や訓練をするのであろう。そういう私も、あまり関わることが上手ではなく、かといって、すごく関わることが好きかと言うと、そうでもないような気がする。その私が、何故関わっているのかというと、関わっていくうちに違う側面が見えたり、その人たちが変っていったりすることが、楽しく(うれしく)思えるからだと思う。
だから、何か関わることに楽しみや、面白さがわからなかったり、見つからなかったりすると、この職業を選ぶということをしないと思う。あるいは、この職業から離れるといいう選択をするかもしれない。これは、何も福祉という業界の話だけではなくて、ほかの職業でも同じことである。やはり、仕事の中で何らかの「楽しみ」や「やりがい」を感じられなくては、職業は続かないように思う。ただ、この職業には厄介なこともあって、毎日、同じ顔を相手にしていると「息が詰ってくる」という閉塞感もあると思う。ここが現場の人たちが言う「きれいごとではない」所だと思うが、閉塞感があるなら、やり方を変えればいいと思うのだが、そうもいかないというのが現実である(らしい)。
私たちの考えられることは、「見る」事から始まり、経験することから始まる。しかし、現実を「変える」という行動にはその時、その時の「経験」では駄目で、「想像」も必要である。Aに当てはまることが、Bに当てはまらないのは何故か、何故、われわれはこの職業を行い、それはどのような位置にあるのか?は経験だけでは中々わからないと思う。いつも、このようなことを書いて、そうしてどうなるのか?と思う人がいるかもしれないが、どうにもならない現実に向き合うということはこのようなことなのかな、とよくわからない事で今回は終わらせていただく。また。
さて、そこに集まっている法人は「カンキョー」にかかわる団体で「もったいネット」というNPO法人である。この団体には、私がヨベルにいた頃から、そこに関わることになってしまい、今日に至っている。まぁ、私自身がそこに集まっている方たちに、惹かれるというか、魅力のある人たちなので、関わっているのだろう。よく考えてみると、この「関わる」というのは、簡単なようで、難しくもある。
私たちは、日々、誰かと関わっているのであるが、その中でも、関わりたくない時や、関わりたくない人、距離をとりたい人、あるいは、近づきたい人等、様々な人たちとそれぞれの付き合い方をしていると思う。そうして、関わる時は、当たり前であるが自分の時間を費やし、時には気を使ったりもする。だから、時にはそういうものから逃れたい人もいれば、積極的にそうしたい人がいると思う。
ただ、私たち支援員は、福祉に関わる人たちは「関わりたくない」時でも、関わらなくてはいけないし、関わりたくないから「関わらない」ということが、あまり出来ない(時には疲れた・・・と思うこともあるが)職業だと思う。だから、人にあまり関われない人は、この職業に向かないといわれるであろうし、関わるように努力や訓練をするのであろう。そういう私も、あまり関わることが上手ではなく、かといって、すごく関わることが好きかと言うと、そうでもないような気がする。その私が、何故関わっているのかというと、関わっていくうちに違う側面が見えたり、その人たちが変っていったりすることが、楽しく(うれしく)思えるからだと思う。
だから、何か関わることに楽しみや、面白さがわからなかったり、見つからなかったりすると、この職業を選ぶということをしないと思う。あるいは、この職業から離れるといいう選択をするかもしれない。これは、何も福祉という業界の話だけではなくて、ほかの職業でも同じことである。やはり、仕事の中で何らかの「楽しみ」や「やりがい」を感じられなくては、職業は続かないように思う。ただ、この職業には厄介なこともあって、毎日、同じ顔を相手にしていると「息が詰ってくる」という閉塞感もあると思う。ここが現場の人たちが言う「きれいごとではない」所だと思うが、閉塞感があるなら、やり方を変えればいいと思うのだが、そうもいかないというのが現実である(らしい)。
私たちの考えられることは、「見る」事から始まり、経験することから始まる。しかし、現実を「変える」という行動にはその時、その時の「経験」では駄目で、「想像」も必要である。Aに当てはまることが、Bに当てはまらないのは何故か、何故、われわれはこの職業を行い、それはどのような位置にあるのか?は経験だけでは中々わからないと思う。いつも、このようなことを書いて、そうしてどうなるのか?と思う人がいるかもしれないが、どうにもならない現実に向き合うということはこのようなことなのかな、とよくわからない事で今回は終わらせていただく。また。