年始のご挨拶が遅れましたことをまずはお詫びいたします。まずは、皆さんにとって良き年であることをお祈り申し上げます。今回の考えたことは、久しぶりに大通りに出てきたので、喫茶店に入り、そこで書いたことを少し。この間、デイケア協議会で「自立支援法」における社会資源の変遷についての話をしてほしい、というので私の立場からお話をさせていただいた。自立支援法になり制度が複雑化したということももちろん、こうした流れになった背景、そうして、この流れはやっぱり、まともではないという事を今までの制度の変遷について若干ではあるが話をした。このブログもそうだが、私の話は妙に固く、あまり主流な話ではないと自分では思っていたし、協議会の中での話しの中でも「マニアック」と位置づけ話をさせていただいた。
その後、交流会をしていただいたのだが、そこである先生から「君の話はマニアックではなくて、王道ですよ。主流と思ってよい」と言われた。学問に王道は無いとは思うのだが、私たち専門職が、というか人に関っていく仕事をする立場がどういう立場のもので、どこと繋がっているのかはきちんと言ったほうがよいのだな~と改めて再認識をさせていただいた。ありがとうございました。
さて、話は変わって、社会福祉士の内容、科目、が再編成されるらしい。大学でも、授業の再編があるらしく、社会福祉原論が必修ではなくなるという話を聞いた(詳しい方がいたらコメントにお願いします)。本来は、大学は資格をとる所ではないと思っていたし、学問のための学問を行うところだと思っていたのだが、世の流れはそうはなっていなく、社会福祉の現場がこれで、ますます(?)良くない意味での脱専門家集団になっていくと思う。
本来我々の職業は、対人援助ではあるが、援助される、援助する側も社会的に規定されているはずで、とりわけ、援助側は職業と言う形で援助するわけだから、なおさら、その時々の自分と社会との関係は理解しようと言う姿勢が大切であるはずなのに、(全てではないとは思うが)教育現場が、そこの視点をもっていなく、そうして、卒業して、後は現場に任せましたと言われても、「それは教育の放棄ではないか」と思ってしまう。昔は、必修であった卒業論文も学科によっては自分の出身大学ではもはや必修ではなくなっているし、大学が大学らしさを失っているような気がしている。
派遣労働の問題、障害のある方の就労の問題、そうして、貧困問題は今だなくならない。16世紀だったと思うが、当時のエリザベス救貧法の時代は、貧困問題は個人の問題と言われていたが、現代はどうであろうか。労働問題やそれに伴う貧困問題をどこまで「社会の問題」と認識できるであろうか。この認識を確認する作業は、技術を学ぶ事等とは違い歴史観や社会観そうして、原論や哲学を「学ぶ」という事が必要になると思うのだが、そうしたことが横に置かれてしまう様なあり方はやっぱり、やめたほうがよいし、大学という場所で捨てるべきものではない。福祉現場も教育現場もそうであるが、若い方がこれから学んでいくときに、人間や社会を見ていくときに必要な視点が失われると言うことは、この国にとっての大きな損失であると思う。もう一度、考え直したほうがよいということで今回は終わる。相変わらずの、固い話です。また。
その後、交流会をしていただいたのだが、そこである先生から「君の話はマニアックではなくて、王道ですよ。主流と思ってよい」と言われた。学問に王道は無いとは思うのだが、私たち専門職が、というか人に関っていく仕事をする立場がどういう立場のもので、どこと繋がっているのかはきちんと言ったほうがよいのだな~と改めて再認識をさせていただいた。ありがとうございました。
さて、話は変わって、社会福祉士の内容、科目、が再編成されるらしい。大学でも、授業の再編があるらしく、社会福祉原論が必修ではなくなるという話を聞いた(詳しい方がいたらコメントにお願いします)。本来は、大学は資格をとる所ではないと思っていたし、学問のための学問を行うところだと思っていたのだが、世の流れはそうはなっていなく、社会福祉の現場がこれで、ますます(?)良くない意味での脱専門家集団になっていくと思う。
本来我々の職業は、対人援助ではあるが、援助される、援助する側も社会的に規定されているはずで、とりわけ、援助側は職業と言う形で援助するわけだから、なおさら、その時々の自分と社会との関係は理解しようと言う姿勢が大切であるはずなのに、(全てではないとは思うが)教育現場が、そこの視点をもっていなく、そうして、卒業して、後は現場に任せましたと言われても、「それは教育の放棄ではないか」と思ってしまう。昔は、必修であった卒業論文も学科によっては自分の出身大学ではもはや必修ではなくなっているし、大学が大学らしさを失っているような気がしている。
派遣労働の問題、障害のある方の就労の問題、そうして、貧困問題は今だなくならない。16世紀だったと思うが、当時のエリザベス救貧法の時代は、貧困問題は個人の問題と言われていたが、現代はどうであろうか。労働問題やそれに伴う貧困問題をどこまで「社会の問題」と認識できるであろうか。この認識を確認する作業は、技術を学ぶ事等とは違い歴史観や社会観そうして、原論や哲学を「学ぶ」という事が必要になると思うのだが、そうしたことが横に置かれてしまう様なあり方はやっぱり、やめたほうがよいし、大学という場所で捨てるべきものではない。福祉現場も教育現場もそうであるが、若い方がこれから学んでいくときに、人間や社会を見ていくときに必要な視点が失われると言うことは、この国にとっての大きな損失であると思う。もう一度、考え直したほうがよいということで今回は終わる。相変わらずの、固い話です。また。