昨日、千歳の相談員の方と小樽の就業・生活支援センターの方、北広島の就労支援員の方、札幌の相談員の方と研修の打ち合わせをした。他の地域から見ると「札幌は進んでいる」という印象らしいが、こちらの印象は他の地域(千歳や小樽や北広島)の方が進んでいるように思えたし、色々知っていて、改めてこちらの勉強不足を痛感させられた。本当はこのような情報交換が定期的になされて、制度的な進み具合とか、制度の作り方なんかを交換し合って、「こうすればこういう制度ができて、行政も動く」というやり方の情報交換がもっともっとされたほうがいいなと思った。そういう意味では札幌は「充実」しているのだろうか?良くは分からないが、東京のほうで「介護人派遣制度」ができ、その情報を発信して、その情報をもとにその制度を作ったところが「山梨県」だという話があった(良き死』立岩真也,筑摩書房)。私たちは本当は何かをしようと思ったときに、その情報を知っているか知らないかで全く動き方が変わってくる。闇雲に動いたりするときもある。それはそれで大事なことではあるとは思うが、その情報を知っていれば、動き方が変わってくることもある。そういう意味でも、情報交換というのは大事であって、必要なことでもある。研修会は今月の15日(あさって)にあるようなんで、そこで、私が何を話すか、今日考えようとのん気に考えている。
その後、私がちょっとだけ関らせていただいた、他の法人の利用者の方が就職し、その就職祝いに呼ばれていたので(ちょっぴり関っただけですが)、図々しく行ってしまった。楽しかったのは楽しかったのだが、それで終わりというのも何なんで、感じたことを以下。
私たちの仕事は「人の不幸で飯を食っている」(『良き死』立岩真也,筑摩書房)といわれる。その事も多少はあっていはいるのだが、昨日は幸せを分けてもらっているようなそんな気がした。杉田さんの先回のコメントにもあるが、その人が「働いてよかった!」と思えるような仕事、尚且つ「生きていてよかった!」と思えるような仕事(支援?)をし続けて行きたいと改めて思い知らされた。私たちの仕事は「利用者」がいて成り立っている仕事ではあるのだが、その人の人生に寄り添う仕事でもある。その人生に無断で立ち入るのではなく、そこは「支援者」という役割をつけて、彼、彼女の人生に立ち入る、そんな仕事である。そうして、一つ一つ私たちができることをその人の人生に寄り添い私たちができることを行う、その作業の繰り返しでもあると思う。
でも、やはり、人のやれる、できる範囲は限られているし、それは当然だ。だから、それぞれができること、やれることをやるしかないし、やっと方がよい。自分が何でもできると思うと、それはそれで「バーンアウト」にもなりかねないので、自分の限界は知っておいたほうがよいのだろう。
各言う自分に何ができるのかは、実は分かっていないのかもしれない。ただ、個人的なことではあるし、そこを書いていいのかとは思うのだが、私は一人が好きで、一人のときはあんまり人とは関りたくはないのだが、ただ、人が好きだし、人の笑顔はもっと好きだということは(だからといって悲しい顔が好きではないわけではない)、この年齢になって気付いた事には我ながら、情けないと思った。
話が横道に逸れたが、その人の人生に幸・不幸を含めて寄り添う、寄り添える、関る、何でもよいのだが、だからその人の人生を大切にしないといけないのだし、その人の人生が充実できるように私たちに何ができるのかを問い続けていく必要があるのではないかと思った。ということで、今日はこの辺にしておこうと思う。読んでいる人は多分、いないと思っていたのだが、読んでくれている人もいるようだ。ありがとうございます。そのうち、また考えたことを書こうと思います。この人は暇なんじゃないかと思われるかもしれませんが、今日は午後出勤ですので、午前中にこれを書いています。
その後、私がちょっとだけ関らせていただいた、他の法人の利用者の方が就職し、その就職祝いに呼ばれていたので(ちょっぴり関っただけですが)、図々しく行ってしまった。楽しかったのは楽しかったのだが、それで終わりというのも何なんで、感じたことを以下。
私たちの仕事は「人の不幸で飯を食っている」(『良き死』立岩真也,筑摩書房)といわれる。その事も多少はあっていはいるのだが、昨日は幸せを分けてもらっているようなそんな気がした。杉田さんの先回のコメントにもあるが、その人が「働いてよかった!」と思えるような仕事、尚且つ「生きていてよかった!」と思えるような仕事(支援?)をし続けて行きたいと改めて思い知らされた。私たちの仕事は「利用者」がいて成り立っている仕事ではあるのだが、その人の人生に寄り添う仕事でもある。その人生に無断で立ち入るのではなく、そこは「支援者」という役割をつけて、彼、彼女の人生に立ち入る、そんな仕事である。そうして、一つ一つ私たちができることをその人の人生に寄り添い私たちができることを行う、その作業の繰り返しでもあると思う。
でも、やはり、人のやれる、できる範囲は限られているし、それは当然だ。だから、それぞれができること、やれることをやるしかないし、やっと方がよい。自分が何でもできると思うと、それはそれで「バーンアウト」にもなりかねないので、自分の限界は知っておいたほうがよいのだろう。
各言う自分に何ができるのかは、実は分かっていないのかもしれない。ただ、個人的なことではあるし、そこを書いていいのかとは思うのだが、私は一人が好きで、一人のときはあんまり人とは関りたくはないのだが、ただ、人が好きだし、人の笑顔はもっと好きだということは(だからといって悲しい顔が好きではないわけではない)、この年齢になって気付いた事には我ながら、情けないと思った。
話が横道に逸れたが、その人の人生に幸・不幸を含めて寄り添う、寄り添える、関る、何でもよいのだが、だからその人の人生を大切にしないといけないのだし、その人の人生が充実できるように私たちに何ができるのかを問い続けていく必要があるのではないかと思った。ということで、今日はこの辺にしておこうと思う。読んでいる人は多分、いないと思っていたのだが、読んでくれている人もいるようだ。ありがとうございます。そのうち、また考えたことを書こうと思います。この人は暇なんじゃないかと思われるかもしれませんが、今日は午後出勤ですので、午前中にこれを書いています。