レッスン2
わたしは、〈この部屋で/この道で/この窓から/この場所に〉見るものすべてに、自分にとっての意味を与えています。
昨夜は、CRSで年末瞑想会が開かれました。
香咲先生に誘導していただきますので、1時間という時間も長く感じません。
たくさんの方たちとご一緒なので、心の開放感もより強く深いものがあります。
アキムに出会った頃は、5分も目をつぶっていられなかったのになあと思います。
と言っても、私の場合は、瞑想の途中で頭の中のおしゃべりが始まって連鎖的にさ迷い出し、
過去やこれからのことを考えはじめることがしばしば起こります。
まるで、心の静けさからあえて逃げようとしているみたいに・・・です。
それに気がつくと、ケロッと?瞑想に戻ることの繰り返しです。
昨日のレッスン1の2回目はいかがでしたか?
私は、人や物事をキープしたい、より良く保存、保管しておけるかどうかが大事だという思いで、
周りのあらゆることを細かく注意してぐりぐりとした視線で見ているんだなあと気づきました。
付加価値という言葉がありますが、常に付加価値が持てるかどうかで判断したいという、
汲々とした心でいるのだなあと。
レッスンで、「意味がない」と言われるからには、私のものの見方と逆さまの何かがあるのかなあ?
と、ちょっとホッとして休みました。
今日はレッスン2です。
レッスンにあるとおり、テレビにも、パソコンにも、ベルトにも、掃除機にも、私が自分にとっての
意味を持たせているんですね。
私にとっての意味には、それはもう各種様々ありますが、記憶からの意味づけが思っていたより
強力に付けられていることに気がつきました。
記憶にあるあのこと、あの方との思い出がたくさんあって、一瞬心がフリーズするような感覚です。
ある意味、脅迫的に思い出しているみたいにです。
感謝というより、負い目のような感覚です。
私は、掃除機にすら負い目を感じながら使っているのでしょうか?
見るものと私との関係が、こういったことから作られいたなんて驚きです。
見るものには、やはり、私自身が意味を与えているようです。
夜も同じワークを1分間やります。
コメント欄に皆さまからのシェアをお待ちしています。 永保子