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WORK as DESIGNED

日々のこと、デザイン、描いた絵、書の感想、攻略、etc.

J.L.ボルヘスの書を二冊携帯して、旅に出ようと思った。


別段、行く宛があった訳ではない。寧ろ事実はその逆で、行きたい場所等無かった。
単に、書———例えば、ニーチェやボルヘス、ヴェルレーヌなど、普段時間が取れずにおいてあるものたち———を数冊所持品に入れて、読まれるかそうでないかという問題より、読むかもしれないと期待することへの期待から、携帯する行為そのものが、行く宛もないのに此の地を後にする為の口実であったのかもしれない。

自らにとって、行為そのものはいつもそうであった。目的を持たぬ者に科せられた、残酷な事実。
自分には手段はいくらでもあった。それなのに、目的だけが不在だったのだ。


それはそうと、携帯する本を選別する行為は、 ことのほか楽しかった。
許された時間を思い、ボルヘスほか適度に重みの異なる和洋書を二冊、更に考えあぐねた末、薄い詩集と罫線のない小振りな皮表紙の手帳、簡易羅和辞典をあわせて、鞄の底に忍ばせた。

所持品はこの他、身につけた上着やスラックスのポケットに収まる程度のものだけで、ほとんど無いに等しい。必要になれば、その時に必要なものを調達すれば良いだけの話で、それが何であるのか、また本当に必要なものであるのかは、今の時点では、はかりようが無い。それが何であるのかを見い出すことすら、未知の楽しみに置きたい気がしていた。


旅に出る———その魅惑的な語感に秘めたる可能性に、胸が高鳴り、奇妙な高揚感に肌が泡立つのを感じる。


目的の地と錯覚するに足る居場所が見つかったとしても、彼の地は一時の来訪者に本質的な姿を見せはしまいし、自身とて、刹那の切り取られた時間と向き合える保証など何処にも無い。だが、上辺だけのノスタルジックな錯覚であろうと、それを埋め合わせるに十分な言葉たちは、今のところ、自身にとって、無くてはならないものだ。此の地を後にする口実など寧ろどうでもよく、それらすべてを模索する為に未だ見ぬ先の地を目指すこともあるだろう。そして、そのともとして最適なのが数冊の愛読書であり、欠落した目的より幾倍もの牽引力を有した、好奇心なのである。


さて、何処かへ。
旅立つとしよう。

誰も居ない見慣れた私室で独りごちて、静寂に包まれた淡い夜明けを後にする。



何処かにあるその場所を、思い描く。
行き先不明、目的不在。
だだ、その機会を選択肢として用意してみたいという、ささやかな動機は此処にある。





* Posted in *memo, 一人の時間


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何年も一つのことから遠ざかっていると、理由がなければ戻ることさえ許されない気がするのは、単なる自嘲的思い込みかも知れない。だが、そう理解できていても、納得するのは難しいものなのだ。
ことさら、めまぐるしく趣向を変え、一か所に数年を居するのが珍しい「ある」世界において、これだけ長く居座ることが出来たのは、単に、好き嫌いの問題や、放置した時間がただそれだけで何かを解決してくれた訳ではないのだと、此処に記しておかねばならないだろう。それにもまして、前回の書より一体何年が経過してしまったのだろう? 環境がそれを許さなかったという個人的理由はさておき、様々な迷いがあったことも、此処に正直に告白しておこう。


その間、本質は自身を煩雑な日々へと否応なく遠ざけ、数年掛けてぐるりと遠回りをさせて、結果、意図しなかったまったく別のものへと変化していった。
かなり寄り道をした感も否めないが、この頃は、何が本道で何が寄り道であるのか、その境界線は何処にあるのかと考えを巡らせることが多くなった。そんな時、自らにとって正しい道を予め感得している者など居るはずもないので、どちらが良いというのはもはや個人的嗜好以外の何物でもなく、案外ごく単純な理屈で正当化できる類のものではないかと、やや独善的な考えに落ち着けてしまう。
言動や出来事、あらゆる現象は恣意と憶測に依り掌握可能に、他者へ説明可能になる故、不確かな自分とそれを取り巻く世界を、現存する言葉や色かたちで表せると思うこと自体、大変な驕りなのだろうと思うからだ。


正しいものなど何一つない。同様に、間違えているものなど何一つなく、それを真の意味で判別できるのはもはや、神しかいるまい。つまりは、最終的に自らが取捨選択し、善いと思えるならば、例え失敗で終わろうとも、他者にとって誤りであろうとも、其処に最小限の存在を認められるのである。無論、自らを含む限定的な世界に於いてなのだが。


自分にとっての正しき道は、時々で変化しながらも自身に嘘をつかないことで、邪推なく等身大の自分を受け入れる勇気を持つことなのかも知れない。
そうして今ようやく、何かを成そう、或いは上手くこなそうといった構えや焦燥から解放され、気の向くままに紙に向かい始めた。正当な手法に則った物語でもなければ、奇抜な趣向もしかけもなく、内にあるイメェジや色彩みたいなものを、白いキャンバスに好きな色を乗せるよう自由に置いてみた。それ故にぎこちないところも散見されるが、お許し願いたい。

ともあれ、そのイメェジを載せた試作本が一つの発端となり、新たな時間へ、或いは心境の変化に、漸く意味を与えてくれるのではないかと、そんな気がしているのだ。


また一方で、別の事由もある。それは、放埓的な所業を温かく見て見ぬ振りをしてくれ、要所で支えてくれた一人一人のことばであり存在である。長い間、静かに、そして根気強く待ち続けてくれた貴方に、心よりの感謝の意を、この場に表しておきたい。多大な思い込みかも知れないが、試作本への機縁と続く変化は、常に見守ってくれた貴方であるということも、紛れも無い事実なのだから。


恐らく自分は、出来たばかりの稚拙な文章で綴られた書を手にして、その時の居場所で苦笑し、途方にくれているに違いない。それでも貴方は、積年を共に過ごした友にそうするよう淡く笑い、手を差し伸べ受け取ってくれるのだろう。

これも、未だ見ぬ次の新しい「何か」への接続詞的オルナメントの一つに他ならないのだと、いずれ判明する事を期待しながら。



2011/10 自室にて
ピグの方でヘルンヴァイン全くなかったので、サークル作ってみた。良ければ入って欲しいなとか宣伝w

ヘルンヴァイン、好きすぎて鼻血出そう。日本で見られないのがとても寂しい。アジアでは、何年か前に中国、確か上海でフィルムだかのエキシビションがあったような。。。いつか彼のインスタレーションをこの目で。何処かで見ていたいと思う。

マリマンとヘルンヴァインのコラボ的ゆーつべうpしてみよう。。。。あ、artカテゴリ作ってみた。そこにいろいろ関係なく放り込んでゆく予定。描いた物はどうしようか。。。

そのうち考える。