Ante scriptum | WORK as DESIGNED

WORK as DESIGNED

日々のこと、デザイン、描いた絵、書の感想、攻略、etc.


何年も一つのことから遠ざかっていると、理由がなければ戻ることさえ許されない気がするのは、単なる自嘲的思い込みかも知れない。だが、そう理解できていても、納得するのは難しいものなのだ。
ことさら、めまぐるしく趣向を変え、一か所に数年を居するのが珍しい「ある」世界において、これだけ長く居座ることが出来たのは、単に、好き嫌いの問題や、放置した時間がただそれだけで何かを解決してくれた訳ではないのだと、此処に記しておかねばならないだろう。それにもまして、前回の書より一体何年が経過してしまったのだろう? 環境がそれを許さなかったという個人的理由はさておき、様々な迷いがあったことも、此処に正直に告白しておこう。


その間、本質は自身を煩雑な日々へと否応なく遠ざけ、数年掛けてぐるりと遠回りをさせて、結果、意図しなかったまったく別のものへと変化していった。
かなり寄り道をした感も否めないが、この頃は、何が本道で何が寄り道であるのか、その境界線は何処にあるのかと考えを巡らせることが多くなった。そんな時、自らにとって正しい道を予め感得している者など居るはずもないので、どちらが良いというのはもはや個人的嗜好以外の何物でもなく、案外ごく単純な理屈で正当化できる類のものではないかと、やや独善的な考えに落ち着けてしまう。
言動や出来事、あらゆる現象は恣意と憶測に依り掌握可能に、他者へ説明可能になる故、不確かな自分とそれを取り巻く世界を、現存する言葉や色かたちで表せると思うこと自体、大変な驕りなのだろうと思うからだ。


正しいものなど何一つない。同様に、間違えているものなど何一つなく、それを真の意味で判別できるのはもはや、神しかいるまい。つまりは、最終的に自らが取捨選択し、善いと思えるならば、例え失敗で終わろうとも、他者にとって誤りであろうとも、其処に最小限の存在を認められるのである。無論、自らを含む限定的な世界に於いてなのだが。


自分にとっての正しき道は、時々で変化しながらも自身に嘘をつかないことで、邪推なく等身大の自分を受け入れる勇気を持つことなのかも知れない。
そうして今ようやく、何かを成そう、或いは上手くこなそうといった構えや焦燥から解放され、気の向くままに紙に向かい始めた。正当な手法に則った物語でもなければ、奇抜な趣向もしかけもなく、内にあるイメェジや色彩みたいなものを、白いキャンバスに好きな色を乗せるよう自由に置いてみた。それ故にぎこちないところも散見されるが、お許し願いたい。

ともあれ、そのイメェジを載せた試作本が一つの発端となり、新たな時間へ、或いは心境の変化に、漸く意味を与えてくれるのではないかと、そんな気がしているのだ。


また一方で、別の事由もある。それは、放埓的な所業を温かく見て見ぬ振りをしてくれ、要所で支えてくれた一人一人のことばであり存在である。長い間、静かに、そして根気強く待ち続けてくれた貴方に、心よりの感謝の意を、この場に表しておきたい。多大な思い込みかも知れないが、試作本への機縁と続く変化は、常に見守ってくれた貴方であるということも、紛れも無い事実なのだから。


恐らく自分は、出来たばかりの稚拙な文章で綴られた書を手にして、その時の居場所で苦笑し、途方にくれているに違いない。それでも貴方は、積年を共に過ごした友にそうするよう淡く笑い、手を差し伸べ受け取ってくれるのだろう。

これも、未だ見ぬ次の新しい「何か」への接続詞的オルナメントの一つに他ならないのだと、いずれ判明する事を期待しながら。



2011/10 自室にて