今日は優しくないです。
先に言っておきます。
最近よく見る言葉。
- ほっとする思考
- がんばらなくていい
- ゆるふわで生きよう
一見、救われる。
疲れているときほど、沁みる。
でもこれ、本当に“救い”でしょうか。
社会がしんどいのは事実。
過剰競争。成果主義。比較社会。
だからこそ「降りてもいいよ」と言われると、心が軽くなる。
でもそのあとどうなるか。
- 向上心を持つのは執着
- お金を稼ぐのはエゴ
- 競争は波動が低い
- 頑張る人は無理している
こういう言説に包まれていく。
結果どうなるか。
収入は下がる。
スキルも伸びない。
経済的選択肢が減る。
そして――
不安が増える。
不安は思考を歪ませる
経済的余裕がなくなると、人はどうなるか。
冷静な判断が難しくなる。
「楽して稼げる」
「波動を上げれば収入はついてくる」
「宇宙は味方してくれる」
こういう言葉に、すがりやすくなる。
つまり、
ゆるい世界観に誘われた先で、より“騙しやすい状態”が出来上がる。
厳しい言い方をすると、
思考停止 × 経済的不安 = 最高のカモ
優しさの顔をした依存構造
本当に怖いのはここ。
「あなたはそのままでいい」そう言いながら
- 高額講座
- コミュニティ依存
- 月額サロン
- エネルギー商材
へ誘導する。
ゆるく生きると言いながら、結局は誰かの思想に依存させる。
自立ではなく、精神的な囲い込み。
それって本当に自由でしょうか。
私はゆるさを否定したいのか?
違います。
休むことは必要。
力を抜くことも大事。
でも、ゆるさと無力化は違う。
- ゆるさは余白
- 無力化は判断力の低下
ここを混同させる言説が多すぎる。
強くあることは悪なのか
努力すること。稼ぐこと。競争すること。
それらを悪者にする風潮。
でも、
経済的自立は精神的自立の土台です。
選択肢がある人は、騙されにくい。
余裕がある人は、冷静に考えられる。
私は、ゆるく生きる前に、強くなれと思う。
強さの上にあるゆるさは本物。
弱った状態でのゆるさは、ただの漂流。
今日は毒吐き会。
嫌われるかもしれない。
でも、
「優しい言葉に包まれながら
静かに思考を奪われる」
そのほうが、よほど怖い。
