お芝居のこと 稽古編 | 就労継続支援A型事業所 わーくぷらすin大阪

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お芝居を観るのにあきたらなくなり、演じる側にも立ちたくなった利用スタッフのFです。

 

 

以前に20分ほどの演劇を完成させるワークショップに参加したと、このブログに書いたような気がします。

 

 

アクションやパントマイムのワークショップには幾度も参加したことがあったのですが、


声にコンプレックスがあってセリフのある演劇のワークショップは避けていました。


高校の部活もちょっとは滑舌が良くなるかなと期待して放送部に入りましたが、結局、機械操作の裏方に回りました。

 


中高ともE.S.Sにも籍を置いていて、文化祭の英語劇の舞台に立ったことはあったけどね。

 

 

小学六年のクラスの催しにお芝居の台本を書いて出演もしたので、意識はしてませんでしたが、やっぱりお芝居が好きだったのでしょう。

 


当のワークショップのお芝居は動画公開はされましたが、実際にはそのワークショップの母体となる劇団の関係者の前でしか演じてませんでした。

 

 

好きな劇団の憧れのメンバーの面前で演じるのですから、それはそれで緊張が凄かったけど(^^♪

 


アクション/マイムの発表会では50人くらいの観客の前でやりました。


各々20分あり、セリフこそありませんがストーリーがあって、パフォーマンスというよりは演劇に近いものでした。

ちなみに、そのアクション作品は劇団の新作のプロトタイプとなり、延長バージョンが本公演として劇場で公開されました。


冒頭とエンディングが私たちが演じた芝居とほぼ同じで、観たときは感動もいいとこ。

憧れのメインキャストの方々が私たちと同じ演技をしてくれた!って。

 


稽古を繰り返す二か月間は、頭が演技のことでいっぱい。


俳優ではなく素人として思ってしまうことかもしれませんが、自分一人の失敗なら、経験値を積んだ出演者が崩れた流れを修正してくれるのでまだ気持ちが楽と言えば楽。(ちなみにワークショップはまったくの未経験者も参加できますが、大半は自分のスキルの向上が目的の俳優さんや演劇部の学生といった経験者です。その中に飛び込むので、たとえ素人でも全力で取り組まないと話になりません)


しかし二人以上でのやり取りがあった場合、ひとつ順番を間違えるだけで自分以外の出演者の演技をつぶすことになってしまいます。

つまり稽古した二か月の時間と努力が台無し。


それが怖くてもう何度も何度も練習を繰り返すしかないのです。

 

 

そのうちに、だんだんと失敗しないか?とか人前で演じる怖さを超えて、少しでも多くの人たちに観てもらいたくなってきます。


観客は、私たちのどこをどんなふうに観るのだろうか?私たちが演じていて面白いと思ったところで面白いと思ってくれるのだろうか?


わざわざ足を運んでくれた気持ち以上のものを持って帰ってもらえるのだろうか?とか

 


最後の挨拶で出演者一同が「本日は誠にありがとうございました!」と言うのはお芝居の恒例ですが、言ってみて本当の意味で「ありがとう」が理解できたような気がします。


…本当にありがたい。お客さんひとりひとりの手をとって感謝を伝えたいと思いました。


お客さんにすれば「好きな劇団の好きな演出家の作品だから」「知り合いが出ているから」が足を運んだ理由なので、私のことなんて目にも入ってないかも知れないけどね。

 


そしてついについにセリフがたっぷりあって、観客にも入ってもらう演劇ワークショップに参加してしまいました!

 


発声練習から稽古が始まり、一回目はひとつの台本を参加者全員で代わる代わる読んでみて、誰がどの役に合っているか演出家さんに判断してもらいます。


台本は短編のオムニバスなので何組かに分かれることに。

その次の回では、各組の参加者が台本片手に自分たちで芝居のプランを立ててみました。


登場人物のセリフや表情や動きを台本から読み取るのです。


台本にはセリフと状況と簡単な説明しか書かれてないので、舞台に立つ自分たちを想像するしかありません。


さらに実際に演じてみて不自然さがあれば修正を繰り返します。

 


その次の回は、ある程度演技プランが固まったので、一組づつ他の参加者の前で演じてみて、演出家さんから修正してもらいます。


自分たちで作ったプランが土台になっているのは間違いありませんが、観客からどう見えるか?とか強調すべきところはどこか?とか

ストーリー全体のカラーだとかの部分にどうしても考えの至らなさが残っているのです。

 


未経験者がやりがちなのが表情で演技、というか表情“だけ”で演じてしまうこと。

テレビドラマでのアップで演技とはそういうものだと刷り込まれてしまっているんですね。

 


舞台上にはカメラはないので、顔の表情だけでは後方の客席には伝わりません。

全身で演技をし、なおかつ表情を自分の腕で隠したり他の出演者の身体に隠れてしまわないように注意が必要なのです。


また顔の向きひとつ、手の動きひとつ、そのスピードやタイミング、舞台のどこに立つかで観客に伝わる内容が不十分になったり誤解を与えたりしてしまうので、修正した後ではまったく別物と言っても間違いありません。

 

 

演出されるまでは平坦な実写版紙人形芝居(もちろん動いてはいるし、台詞も言ってます)、演出してもらった後はストーリーそのものが生命を得てうねり始めます。

 

 

そこからまた練習を繰り返し、また表情、動き、セリフを細かにチェックしてもらう頃にはセリフは頭に入っています。

指摘されれば即座に演技もセリフの言い方も変えなければなりません。

 

 

発表会直前までそんな修正が続きました。時にはよりよい表現を求めて一度作った芝居をゼロに戻すことだってありました。


やっていくうちに出演者も自分の役柄への理解も深くなっていき、人形だった役が段々とこの世界のどこかでその人が実際にいるんじゃないかと思えるくらいの存在感を醸しだしてきました。


部分部分の修正が終わると“通し”といって初めから最後まで全ての演技を繋げて、簡単ながら音響も入った稽古になります。

 

終わると、演出家さんから“ダメ出し”という個々の出演者に向けた修正ポイントの指摘があります。

出演者にも演じたい表現というのが生まれているのですが、芝居全体のバランスから見るとチグハグになってしまうこともあり、訂正されます。

例を挙げると、舞台上では自然な会話の時のような距離のように近くで話したり、あるいは向き合ったりしないことが多々あります。


二人の俳優が客席を向いて目も合わさずに会話することだってあります。

そこで突然相手に近づいたり、向き合ったりすれば、その変化に意味が生まれてしまい、観客に何か違う展開を期待させてしまうことになるのです。


もし俳優の身体の向きに一貫性がなければ、演出家はそのとっておきの変化を強調するべきポイントに置くように指示されます。

 

自宅電車バス内で台詞を繰り返し、広い屋外では動きのある演技をひとりで毎日練習してました。


稽古場では相手がいるので、その演技にお互いを合わせていかなければならず自主練通りにはいきません。二度と同じ演技はないと言ってもおかしくはないのです。

 

いや、頭がフル回転するその感覚はマジで病みつきになりそう