多趣味が服を着ている利用スタッフの元祖の方のFです。
多趣味といってもギャンブル、お酒、ゲームは出来ません。
やりませんではなく。
競馬の重賞レースはしたことはあるのですが、ギャンブル特有の高揚感が僕には不快でたまらないのです。
ギャンブルにはまる人とはたぶんその辺りの感覚が違っているのかも。
期待が盛り上がって勝って喜んでも、次にもその幸運がやってくるとは限らないのに、もう一度トライする気持ちがわかりません。
お笑いのネタで「天丼」という意図的に同じ状況を繰り返すことで笑いを得る技術があります。
その場合、スタートは同じ(セリフが同じだったり、話の転換のきっかけが同じだったり)でも結果に二次関数的な加速をともなった変化がないと「天丼」たりえないのに、若手芸人の中には同じことをただ続けてしまっている失敗の事例が後を絶ちません。
そういう無意味に繰り返すネタが大っ嫌いなので、勝とうが負けようが同じ状況が続くのが嫌なのです。
確率しか頼るものがないのに祈る行為も理解できないし。
なのでガシャポンも、一番くじもやりません。
お酒は単にノンアル体質だし。
ゲームはルールが覚えられない。
興味がないから覚えない、覚えないから面白くない。この変化の無さをルール学ぶことで打開するのではなく、しないことを選びました。
さてさて「役者という種族の凄さ」の話です。
芸人さんという種族の最大の特徴の「瞬発力」に近いものがあります。
違いがあるとすれば「引き出しの容量」でしょうか?
役者さんが繰り返し繰り返し稽古を続けて、でも正解がない。
役者さんの正解ではなく、まずは演出家の求めるもの、あるいはそれ以上のものを演じなければなりません。
その次はお客さんの反応。
しかし演技のすべてが絶賛される必要はないのです。
お客さんに芝居の意図を誤解なく伝えるのは舞台にいる役者全員での分業なので、お客さんの視線を舞台のとある一点に集めなければならないのです。つまり目立ってはいけないこともあるということ。
しかし本筋に関係ある演技者以外の残りの全員が芝居を続けているので、コアな客は全員の演技が見たくて、たとえばひとつの演目が5公演あるとしたら5回観に行くのです。
観れば観るほど最初に気付かなかったものが重要な意味を持っていたと知ること多々あります。
ひとつの芝居が終わって評価されたからといって、次の芝居に同じことができるわけではありません。
逆に前回演出家に却下された演技が求まられたり。
そういう蓄積が劇の稽古だけで培われるわけもなく、自主稽古だったり、人の演技を見て吸収したり。
大工の見習いの頃に「見ろ」と言われてから、十年間出番がなかった技術が必要になった時に見たことが思い出されたことがあります。
それにちょっと近いかもしれません。
他の役者が何をやったかを観察し、分解し、わが身に置き換えることを繰り返して引き出しにしまっていくのだと思います。
あと、脚本や演出家の意図を読み取る力。
以前演劇のワークショップに参加し、数回の稽古で20分弱の芝居を作るというのをやりました。
素人より、プロや学生演劇人の参加の方が多いワークショップでしたが、
経験者の持つ読み取る力、演出家の指示にすぐさま対応できる力、スイッチの入り方等々驚かされてばかり。
素人といえど、参加するからには持てる全てをぶつけなければ彼らに失礼。
演出家も一度演技をつけても、より高い質を目指して、不要と判断したら台本にあっても変更や削除します。
素人的にはせっかくセリフを覚えてきたのにもったいないですが。
劇団のプロモーションの一環で芝居が開演する何週間か前に、お客さんに実際の稽古風景を見てもらう公開稽古というのがあります。
そこでつけられた芝居がごっそりなくなっていたりするのも珍しくありません。
それ以前に、より良いものを目指して演出家が試行錯誤する場面も見られるのですが、役者さんは今までやってきたことをすぐさま捨て去り新しい演出を自分の中でさらに仕上げることに全力を尽くしておられます。
日常の業務でそういう瞬間的な対応が求められる体験はほとんどないです。
でも近いものならあります。
大工の新築の棟上げは作ってきたものを組み上げるだけに見えますが、あれほど瞬発力と頭の柔軟性が要求されるものはありません。
ワークショップの体験はその緊張感に似ています。