空間認識の話 2 | 就労継続支援A型事業所 わーくぷらすin大阪

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マニアックな利用者Fです。

 

 

本題に入る前に「焼そば」のことをひとつだけ。

 

「カップ焼そば」は「焼そば」と名付けられながら❝焼そば❞にあらず。

 

正確には「湯戻しされた汁なしそば」。

 

いつも思います。

袋めんの焼そばにあって、カップ焼そばにないもの…

 

そう!!

 

足りないのは焦げたソースの香り。

 

ならばソースあるいはトッピングに焦げたソースを入れるべきではないかと!!!!!

 

 

 

ではでは本題に入ります。

 

前記事の最後は、多くの人が空間に占める自分の身体の物質としての量を意識してはいないんじゃないかという話でした、たぶん。

 

実は僕もそういう類の空間認識が足りない自覚があります。

 

いや、中途半端にあるから問題なのです。。

 

僕は、自分の身体の範囲だけしか意識できていません。

 

だからドアを閉じるときに掛けてたメガネだけドアに当てて吹っ飛ばしてしまったりします。

 

つまり身に着けたメガネやバッグだけをやたらどこかにぶつけてしまうのです。

 

それに気づくことができたので、バッグやメガネを含めて身体であるという意識を意図的に持つにはどうすればいいかと考えました。

 

ヒントになったのは、昔テレビで日本人初のF-1レーサー中嶋悟氏が言われた安全運転のコツの話でした。

 

中嶋氏が語ったのは技術的なことではなく、

「2秒後を考えながら運転すればいい」です。

 

遠過ぎず近過ぎない2秒先の未来を予想して、事前に対処をしておくこと。

 

具体例を挙げれば、2秒後に電柱の横を通り過ぎるなら、

 

もしかしたら電柱の陰にいるかもしれない子どもが飛び出すかもしれないと仮定しておきます。

そのために、許す限り道路の中央に車を寄せて電柱から距離をとる進路を選んでおきます。

距離がとれたら、その距離の分だけ子どもの飛び出し(仮)への回避行動に時間的余裕がうまれることになります。

距離が近ければブレーキに頼る比重が増えます。

なぜならばハンドルを切って車の向きを変えても(同じ角度でも)対象物(子ども)までの実質距離が小さくて避けられる可能性が少ないから。

もうブレーキをより強い踏力で効かせるしかありません。

 

逆にいえば、距離があればブレーキにハンドルの舵角が合わせるという回避の手段が増えた状態になるということです。

当然停止距離にも余裕があります。

たとえたった1mだけでも車を電柱から遠ざければ、回避の可能性がはるかに上がります。

 

じゃあ2秒後の世界とは?

 

それは、今現在の自分の状態を2秒前に想定できたかと同じ意味です。

 

全ての動きは物理的にも時間的にも連続したもの。

突然(子どもも車も)ワープすることなんてあり得ません。

今この状態になるには、0,5秒前の動き、1秒前の動きに物理的に支配されています。

 

ハンドルを切れば、その角速度と車の速度で次の車の位置が決まります。

例外はありません。

 

つまり2秒後も今の延長上の世界。

 

小中学校で習う理科で理解できる世界で、決して「安全に運転しましょう」という観念の話ではありません。

 

今の速度で2秒後に自分がいるはずの位置を今のうちに想定しておくには、その辺りに視線が向けていないと無理。

そうなると、その視線が確保できる座席位置や姿勢を作らねばならず(スマホを見ながらでは不可能ですね)、意識的にも見ようとする必要があります。

 

逆算して今の状態を作ること、これを日常動作にも応用したらいいと思ったんです。

仕事で軽四トラックを使っていた頃は、埋めた土を均すためにタイヤ半分単位(5cmくらい)でずらすこともやっていたので、車をバッグやメガネに置き換えればいいと考えました。

 

歩いてて、向こうから人が来れば、待つのではなく、先に回避する習慣をつけておく。

(見えない)死角があるなら、そこで起こっているであろう誰かの動きのバリエーションをあらかじめインプットしておく←あらゆる可能性があるようでいて実は、死角の出口から出て来るパターンの1種類しかなくて、その速度と角度のバリエーションしかありません。

そのバリエーションすべてに対応するのは簡単で、「距離をとる」それだけ。

 

視線を先に置いて予想、視線を先に置いて予想を日常で繰り返していると、頭の中に自動的に判断する回路が作られて反射的に動けるようになってきました。

 

長々と書いてきましたが、つまり小学校中学校で理科を真面目に習っておいて良かったなあという話でした。