自分の知らない世界を知りたい。
新しい人、新しい土地、新しい文化、未経験の出来事などを求める。
この欲求は自分自身で凄く強いと思う。
この人生を生き切るために、躊躇している場合ではないという少し重たい表現にはなるが、本心でもある。
どちらかと言うと、論理的な思考プロセスを持っていると思う。ずっと、数学、物理が好きだし、大学も物理工学科で量子力学を深掘りしたり、いろんな公式を帰納的に導いてきた。
それが良い悪いではなく、いまの自分。
最近、アート思考とか聞く。
先日もクリムト展に行ってきた。今まで、美術館に出入り出来ないような発言行動をしてきた人が、わざわざよく分からない人の絵を見るために行動しているわけだ。不思議な感覚。
※大前提
論理的思考という圧倒的な存在があり、そこに新たなアート思考などが生まれてくる。この場合に限らず、よくある事として、既存の否定だ。
論理的思考は古い。これからは、アート思考だ。みたいな事を言いだす人。これは、小さな存在が生き残るためには、既存の大きな存在を否定する事で価値を生むという発想だと思う。
勝手な僕の解釈では、
論理的思考→アート思考ではない。
もちろん論理的は当たり前のように必要で物事のベースとして必要。
ただ、この不確実性の高く、変化のスピードが早く大きくなった時代において、それだけではなくプラスαで必要かもね!っていう話。
この大前提が凄く大切だと思っている。
何が言いたいかわからなくなってきた。笑
このブログは書き直しNGと決めているので前に進むことにする。
つまり、美術館に行こう!という話。
アートに触れて、自分の感性を磨くこと。当たり前の正解なんてなくて、自分で生み出していくしかない。
歴史から学び、過去に縛られず、未来を描いていきたい。
あとは、"作品"という存在に対して。
僕の理念は、Give!Give!Give!与えられる人になること。
誰かの何かの生き方のきっかけになるような人になりたいと思って、色々決めて生きている。
そこ問題がある。僕が死んだら世の中に何が残るのか。この生身の人間だけではなく、カタチに残る何かを残したい、と最近思っている。
表現方法は本当に何でもよくて、何が社会に残すことができるか。これは、40歳までの大きなゴールとして定めているよ。

