「我慢する事が美学になっている」

と聞いて、あなたは何を感じるだろうか。


僕は、「あ、自分も我慢して生きてしまっているな」と感じることもあるのが現実。でも、自分のありのままに生きていきたいという願望もある。


どちらにせよ、社会全体でこのような風潮があるのは理解できる。


なぜか?

これは多くの人が経験しているであろう学校教育にある。


義務教育の名の下、国民をまとめ上げる国策の一つ。


僕自身が驚いたのは、学校で使う教科書を国家がチェックする国は先進国ではほぼないということ。

日本だけで考えると、何も疑わなかったけど、これは国際社会では異例といこと。

日本以外だと、韓国、中国、ロシア、トルコ、キューバなど。欧米の先進国にこんな制度はなく、もしかすると、日本は遅れているのか?独特なのか?


もしくは、この情報を僕に提供している人の狙いも何かあるに違いとも感じている。


学校では、集団行動と通じて、常識をみっちり叩き込まれる。そして、幼少期の僕らに違和感なく、如何にも正当に植え付けるもの。


「知識」と「常識」の違い。

「知識」

原則として事実を取り扱うもの。主観を入り込まない。


「常識」

解釈である。その時代、その国の組織でしか通用しないこともの。常識は時間軸と国家軸で変わる。10年前の非常識は、今では、常識になる。また5年後には、非常識になるかもしれない。

同じ時代でも、飛行機で2時間フライトをして、空港を出れば、非常識になる。本当に、面白い。



我慢すること。

学校教育の謎。

まぁそれぞれで考えて、選択していけばいいだけの話。



これを書いていて、思い出した。

自分の小学校のとき。


僕は、国語の授業が大嫌いだった。中学高校の古典の授業がもっと嫌いだった。そもそも漢字を覚えることに燃えていなかったことと、「筆者はどう感じていますか?」のような趣旨の出題がある。

これって正解なんて、言い切れるの?と先生とぶつかったことがあった。

幼い真面目な僕は、先生のいいなりになったが、納得はしていなかったのかもしれない。

なぜ、死んだ人が何を感じていたのか?

この文章で何を伝えたかったのか?と考えることが大事で、正解を決めつけられることに違和感。


これこそ、

「事実」「解釈」の強要でしかないと感じる。


この枠組みで生き残ることが、素晴らしいとされる社会は、もう終わり。今までは価値観、思考の多様性を認めず、表に出ないように隠してきたかもしれないけど、これからの時代が誰もが自由に考えて、発信できる時代になっている。


管理する人は怖いかもしれない。

でも、人間は誰もが表現者であって、面白くなると思う。


「何か面白いことしたい」

楽しんで、笑って、地球で遊ぼう!


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※面白い写真を発見したので、貼ってみた。地球で遊ぶ子どもたち。