いきなりですが、

私は、家庭科が得意ではありません。

 

特に、裁縫。  針糸チクチク。

 

中学、高校では本当に苦労しました。

 

 

 ↑↑   

これは、私が、息子の体操服のゼッケンをつけた

裏側です。

 

 

何か? 笑

 

 

小6娘も、

「恥ずかしいけど、外れんかったらいいんじゃない?笑」

 

と、認めてくれてます!

 

安心した方、たくさんいれば幸いです!!!(^^)!

 

 

「多様性を認める」

 

「みんな違ってみんないい」

 

等々言われるのが当たり前の時代ですが

 

 

子育てについては、

根強く、多様性を認めない文化がある

 

と感じることが多いのは、私だけでしょうか。

 

幼稚園や保育園で

子どものお荷物ぶくろ(コップ入れ、上靴入れ、着替え入れ)を

 

手作りを強要するところがまだまだ多いのにも驚かされます。

 

手作りが悪いとはいいません。

 

なぜ、手作りでないといけないのか??

 

 

ここには

 

母親が、時間をかけて(手作りで)、子どものために、子どものものを作ることが

子どもにとって良い」

 

という根拠の薄い価値観があります。

 

子どもと一緒に、

市販のものをキャッキャ言いながら選びに行ってもいいのでは?

 

近所の、ハンドメイドが好きな人からいただいてもいいのでは?

 

(私は、職場の方の、ハンドメイド好きな奥様からプレゼントしていただきました♪)

 

もちろん、手作り大好き!という人には

本領発揮の場所であるともいえます(笑)

 

そもそも、パパやじいちゃん、ばあちゃんが作ってもいいわけで。

 

手作り品を作ることで、母親の子どもへの愛情の深さを確認させるのは

まったくもって違うと思っています。

 

 

私は、

ぞうきんも、お荷物袋も、手作りはまったくしたことがありません。

 

一度、頑張って試しに

 

ぞうきんを「手縫い」(そもそもミシン持ってない)したことがありますが

1時間以上、睡眠時間削ってやる作業なのか・・・と悶々しました。

 

これで何が得られるの?

 

さすがお母さん、手作りすごいね、っていう評価?

 

そんなんいらんわ

 

 

睡眠不足でイライラして、子どもにあたってしまうかもしれんやん!!

 

それから、

ぞうきんは、スーパーで買うものと認識しています。

(安いし・・・)

 

子どもにも自分にも意味のあることは時間割いてでもやりますが

周囲からの評価であれば不要です

 

 

ただ・・・

 

どうしても、苦手な裁縫をしなければいけない場面があります。

 

体操服へのゼッケン縫い

 

 

結婚10年たって、掃除洗濯、料理、すべてマスターしたオットも、

さすがに裁縫だけはまだ苦手です。

 

技術家庭科が男女別だった世代の男性(1993年頃から、技術家庭科は男女でするようになった)は

やはり裁縫も苦手。

 

泣く泣く、頑張って、ゼッケン縫いを毎年していますが

 

私が裁縫が苦手ということは、

私自身も、子どもたちも、みんな知っているので

 

私が「縫えたよー!」というと

「すごいねー!」と褒めてくれます(笑)

 

ゼッケン縫いの時期は、子どもたちも危機感持ってくれています(笑)

 

 

ちょっとした、ボタン付けなどは、

娘が家庭科を習い始めたころから、自分でやってくれるようになりました。

 

今後は、このゼッケン縫いも、娘にバトンタッチする予定です。

(娘は、指先作業が大好き)

 

・・・・

 

先日、再就職を考えるお母さんたちの講座を開催した時に

 

「働き始めると、家事が手抜きになるのではないか」

「料理に時間がかけられなくなるのでは」

 

等々の声がありました。

 

この声は、

小さな子どもを持つお母さんからの、あるある声です。

 

 

働き始めると、たしかに、24時間のうちの、何時間かは仕事で時間が取られるわけです。

時間に限りは出てきます。

 

・時間が少なくなることと、家事が手抜きになる、ということは別物

 

・何をもって「手抜き」なのか?「時短」とは何が違うのか?

 

・そもそも、「手抜き」になることで、何か問題があるのか?

 

・時間をかけたら、誰からも評価される素晴らしい家事に、

 美味しく栄養のある料理になるのか?

 

 

 

私は、むしろ「手抜き」「時短」になることで得られることのほうが多いと思っています。

 

自分自身が、「やらなければいけないこと」から解放され、ストレスが減り

他者に対して、やさしく柔軟になれる。

 

時短した分の時間で、家族とのコミュニケーションの時間が増える。

 

 

読書が好きな人は、

睡眠時間を削ってまで読みます。

 

釣りが好きな人は、

休みの日を最大限に使って釣りに出かけます。

 

そんな風に、

時間をかけたいことは、自分が工夫して時間作ればいいんだと思うのです。

 

「家事は時間をかけなければいけない」

 

という、根拠ない価値観だけで、時間を捻出しようと思っているのであれば

それは違うのかなと思います。

 

 

いま、働き方改革が企業では生き残り戦略として進んでいます。

 

 

時間をかけること(残業できること、長時間労働ができること)を

良しとしている会社風土がまだまだありますが

 

家事・子育ても似ているなーって実感します。

 

 

労働時間が短くなるのであれば

生産性を上げるための工夫が必要で、

 

家事時間が短くなるのであれば

限られた時間で、みんながご機嫌でいられて、栄養のとれる方法を考えればいいのでは。

 

 

みんな違って、みんないい。

 

 

昔のお母さんは、「花嫁修業」として、裁縫や料理を習わされていたので

割とオールマイティにできますが、

 

そのお母さんの価値観に負けてはいけません。

 

 

いまは、男女関係なくできるようにと教育されています。(1993年以降、技術家庭科は男女ともに習います)

 

 

みんな違って、みんないい。

 

 

オトコとかオンナとか関係なく、

 

人にはだれしも、得手、不得手 があるわけです。

 

 

料理が苦手だから 裁縫が苦手だから 母親失格

 

子どものそばにいる時間が少ないから可哀そう

 

良妻賢母神話は、いいことありません。

 

多様性を認めない価値観の一つだと思います。

 

 

そんな無意識の偏見から解放されるように、

さまざまな事例を発信し続けたいと思います。