桎梏(しっこく:自由を束縛するもの) | そんなの日本語じゃない

桎梏(しっこく:自由を束縛するもの)

金融関係の行政官さんによる本を読んでいたら、この言葉が繰り返し登場してきました。実際には、2回程度だったと思うのですが、それだけ強い印象を残す言葉です。


私は今回調べるまで知らなかったのですが、桎は足枷、梏は手枷の意味だそうです。とてもグラフィックな単語なので、相当の感情移入がないと使えない言葉です。


用法としては、桎梏から逃れられないという否定的な表現で、不当に、かつ決定的に、束縛されていて、自分の力ではどうにも出来ない、という絶望的な状況を表す場合に使われるようです。


ただし、実社会では、暗めの詩的名称の一部として使われることがほとんどのようです。Googleで検索するとこんな感じになっています。漆黒と同音になっているのも、これらの世界から好まれる理由かもしれません。


ざっと眺めてみると、終業条件の桎梏、時間の桎梏、時間の桎梏、核家族の桎梏、偏差値教育の桎梏、企業支配の桎梏、生産様式の桎梏、生産様式の桎梏、封建制の桎梏、といった感じで使われています。~という足枷、と表現する方が一般的なのでしょうが、桎梏という言葉に置き換えるだけで、なんとも運命的な響きが加わります。


ということで、何かによる束縛を、暑苦しく表現するときに、非常に便利に使えそうです。鎖をジャラジャラ鳴らしているような状況を暗示する効果が期待できます。


ただし、口頭では伝わらない可能性が非常に高いので、会話では避けた方が無難でしょう。