証左(しょうさ:証拠。左証ともいう) | そんなの日本語じゃない

証左(しょうさ:証拠。左証ともいう)

読売の社説 からです。


この“揺れ”は、公明党との与党協議で、「愛国心」をめぐる表記などに隔たりが生じていることの証左だろう。


なぜ単純に証拠と言わず、証左という言葉を使うのでしょうか。どう使い分けるのか、いくつか実例を拾うことで、ヒントを探してみましょう。


タバコ発ガン説は、学者が仕事をしていない事実の 証左、という記事です。証拠、を事実の証左、と置き換えているようです。それにより、攻撃性を緩めているように読めます。 文頭の社説でも、生じている証拠、よりも、生じていることの証左、の方が主張が弱まっているように思います。


逃げ道は、やりがいことが無いことの 証左でもある、という記事です。大学生に向けてのガイドですが、無い証拠、よりも主張が弱まっています。さらに、でもある、と、さらに主張の弱いタイトルにしてあります。


貿易黒字は企業競争力の 証左たりうるか、という命題を設定し、解説しています。実はこれが元来の用法で、証拠というよりも、二つの連動した事象の片割れ、という用法です。貿易黒字がみられたら、その裏には企業競争力がある、ということです。


ということで、用法としては


1. 二つの連動事象の一つを示すことで、証拠とする場合

2. 証拠という直接的な単語を嫌う場合


があるようです。 例文を考えてみます。


- 基本的には、発熱は感染の証左と考えるべきだ。

- これらのデータが、当該プランが失敗に終わったという事実の証左だ。


二番目は、作文の先生に添削されそうな例ですが、そういうぼかした使い方も技法と考えることにしましょう。