日本を壊す人たち: という題で書こうとも思ったが、参議院選挙が近づいているのでURLだけ貼っておく。

 

wiki : 小沢訪中団

 

 

wiki: 尖閣諸島中国漁船衝突事件

 

 

 

中国船が尖閣諸島へ頻繁に現れるようになったのは、小沢訪中団後である。

 

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本題:

ウクライナ危機はヤルタ密約から始まっている。

 

自分の過去ブログ(2012年3月3日)を読み返して、URLがあり、ウクライナ人が書いたのが下記。

 

ヤルタ会談は密約であり、条約ではない。

ヤルタ条約(と言われるもの)は米上院へ提出されていない。(条約は議会の承認が必要) 

記録は会談から10年後の1955年3月16日に明らかにされた。

 

ルーズベルト大統領はヤルタから戻り、議会では”あなた方と国民に対して個人的に報告するが、この会談はヨーロッパでの戦争、政治的な問題に関するもので、太平洋戦争についてのものではない”と話した。 詳細は10年後に明らかになり、ルーズベルト大統領の発言が嘘であったことがわかった。実際にはヨーロッパ(ポーランドも)だけではなくアジアもスターリンに譲り渡していた(約束していた)。

 

ルーズベルト大統領はソ連に対して、外モンゴル、南サハリン、千島列島などの島々、大連港の商業使用権、シナ東ヨーロッパ鉄道、南満州鉄道、旅順港の支配権を約束した。

戦況はソ連の太平洋戦争への参戦を必要としてないにも関わらず、ルーズベルト大統領は単に共産中国・北朝鮮への道筋をつけるソ連の参戦を(権益を約束することで)強く推した。(ソ連も領土・権益を欲しがって条件をつけてきた)

 

その裏には共産主義スパイ、アルジャー・ヒス(国務長官エドワード・ステッティニウスの首席アドバイザー)がいて、ヤルタ会談のほぼすべてに出席していて、彼は機密情報にアクセスできた。(ルーズベルトの手の内がソ連に丸見えの状態で交渉をしていた状態だった)

 

Russia wasn't needed in the Pacific war, and letting Russia in simply opened the way for a Communist empire in China and North Korea. This set the stage for the Korean War in the 1950s and for the son of the original North Korean Communist dictator to threaten us with nuclear weapons today.

News photos of the Yalta meeting reveal the hovering presence of the Communist spy Alger Hiss. As the chief adviser to Secretary of State Edward Stettinius, Hiss attended nearly all the Yalta meetings and could be reached on telephone No. 3, right after FDR. with No. 1 and Stettinius with No. 2.

Hiss was given all top-secret files and documents about the U.S. position 19 days before the conference. Sen. William Knowland, R-Calif., said this made FDR "like a man playing poker with a mirror at his back."

While Republicans and honest writers such as David Lawrence and John T. Flynn denounced the Yalta betrayal, the pro-Roosevelt media praised it. Time called Yalta "a great achievement," Life called it "a success," and the New York Times called it "a milestone on the road to victory and peace."

 

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ヤルタ会談では国連の創設と国連中心主義(ニューワールドオーダー)についても話し合われた。

ルーズベルト大統領は国連での投票数をソ連には3票を約束した。(他の国は1票)

 

-- ↑英語訳に基づくものは大体ここまで ---

 

戦後体制とその後の戦争(朝鮮戦争を含む)、ウクライナ紛争などの紛争の元凶はこのヤルタ密約で生まれたのである。 (ルーズベルト大統領がソ連が支配することを認めた)

 

1950年、北朝鮮軍が38度線を越えて朝鮮戦争が始まったのは、実にこのルーズベルト大統領の密約に基づくものである。密約では大連港(旅順港)はソ連のものであり、それ以北は当然、ソ連の支配地域になるはずだった。

ウクライナを含む旧ソ連邦国は多くの犠牲者を出したヤルタ密約を恨んでおり、日本は領土問題ではそれらの国々と歴史を共有すべきである。

 

 

http://arno.daastol.com/books/Wittmer,%20THE%20YALTA%20BETRAYAL%20%281953%29.pdf

 

本題からはずれるが、wikiでは旅順虐殺事件というのがある。

日本語のwikiと英語のwikiでは内容が大きく違っていて、日本政府はここでも歴史戦をやる必要がある。

 

wiki: 旅順虐殺事件

 

 

wiki: Port Arthur massacre(China)