歴史をどうみるか? 

第二次世界大戦、真珠湾攻撃、太平洋戦争についての見方は以下のような事実を読めば、変わってくるだろう。変わらなければ、その人がおかしいということになる。

(ボイス オブ ロシアにも誘導記事があるので、気をつけて読まなければいけない)


======  ボイス オブ ロシアから記事のコピー    =================

ttp://japanese.ruvr.ru/2013_05_23/114092482/

英諜報機関は1941年2月時点で日本の太平洋戦争開戦を関知していた

  
23.05.2013, 17:04
  
英国のナショナルアーカイブにある秘密書類が23日、公開され、日本が
ヒットラーのドイツと組んで、アジア各地の英国植民地を攻撃する計画を
持っていたことが明らかになった。
   太平洋戦争開戦前、ウィンストン・チャーチル首相の命を受けたMI6
(英国の諜報機関)は、在ロンドン日本大使館内の電話通信の傍受に
成功。1941年2月以降、日本が「非常の際には即座に逃げ出せるよう
準備を整えておくように」との指令を受けたことを知り出
した。

日本のマスメディアによると、いつでも逃げ出せるように、との指令は、駐
ロンドン日本大使(のち外相)重光葵氏から発せられた。

   チャーチル首相は1941年2月、組織的な盗聴と、知りえた内容を米国の
フランクリン・ルーズベルト大統領に送ることを指示した。

   イタル・タス


==== 以下、記事に対する読者のコメントのコピー  ==========

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Akikazu Totukawa · TopCommenter
 昨年十二月、日米開戦から七十周年を迎えた。その直前に一冊の回想録が刊行された。
ジョージ・ナッシュ氏が編集したフーバー大統領の回想録『Freedom Betrayed(裏切られた
自由) 
ここには、大東亜戦争の歴史の書き換えを迫る重大な記録が含まれている。千頁近くにも
及ぶこの大著をいち早く読破し、その重要性を指摘している稲村公望氏に聞いた。
 
ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込んだ―― 『FreedomBetrayed』のどこに注目すべ

きか。

稲村 フーバー大統領死去から実に四十七年の歳月を経て刊行された同書は、フランクリ
ン・ルーズベルト大統領を厳しく批判しており、同書の刊行はいわゆる「東京裁判史観」清
算のきっかけになるほど重大な意味を持つ。例えば、フーバーは回想録の中で、次のよう
に書いている。


 「私は、ダグラス・マッカーサー大将と、(一九四六年)五月四日の夕方に三時間、五日の

夕方に一時間、そして、六日の朝に一時間、サシで話した。(中略)

 私が、日本との戦争の全てが、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であっ
たと述べたところ、マッカーサーも同意して、また、一九四一年七月の金融制裁は、挑発的
であったばかりではなく、その制裁が解除されなければ、自殺行為になったとしても戦争を
せざるを得ない状態に日本を追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を
実行するものであり、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることでは
なかったと述べた」


 これまでも、チャールス・A・ビアード博士らが日米戦争の責任はルーズベルトにあると主
張してきた。対日石油禁輸について、ルーズベルト大統領から意見を求められたスターク
海軍作戦部長が「禁輸は日本のマレー、蘭印、フィリピンに対する攻撃を誘発し、直ちにア
メリカを戦争に巻き込む結果になるだろう」と述べていた事実も明らかにされていた。しかし、
ビアードらの主張は「修正主義」として、アメリカの歴史学界では無視されてきた。つまり、ル
ーズベルトの責任がフーバーの口から語られたことに、重大な意味があるのだ。

 『フーバー回想録』には、対日経済制裁について次のように明確に書かれている。
ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、一九四一年七月、つまり、スターリンとの隠然たる
同盟関係となったその一カ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。そ
の経済制裁は、弾こそ撃っていなかったが本質的には戦争で
あった。ルーズベルトは、自
分の腹心の部下からも再三にわたって、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ(日本が)報復

のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた」

 
天皇陛下の和平提案を退けたルーズベルト―― まさに、ビアードらの主張を裏付けるもの
だ。ルーズベルトは日本を無理やり戦争に引きずり込もうとした。彼は真珠湾攻撃前から日

本本土爆撃を計画していたともいう。

稲村 アラン・アームストロングは、『「幻」の日本爆撃計画「真珠湾」に隠された真実』の
中で、真珠湾攻撃の五カ月前にルーズベルトが日本爆撃計画を承認していたことを明らか
にした。その計画は「JB355」と呼ばれるもので、大量の爆撃機とパイロットを中国に送
って、中国から日本本土を爆撃しようという計画だった。
 『フーバー回想録』は、「スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕
僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。だから、
ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして真珠湾で負けたのだ」と書き、ルーズベルト
が近衛総理の和平提案受け入れを拒否したことについては、次のように批判している。
 「近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであっ
た。しかも、満州の返還ですら、交渉して議論する余地を残していた。皮肉に考える人は、
ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を
引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えるこ
とになるだろう」
 徳富蘇峰は、「日本が七重の膝を八重に折って、提携を迫るも、昨年(昭和十六年)八月
近衛首相が直接協商の為に洋上にて出会せんことを促しても、まじめに返事さへ呉れない
程であった。而して米国、英国・蒋介石・蘭印など、いわゆるABCDの包囲陣を作って蜘蛛
が網を張って蝶を絞殺するが如き態度を執った。而して、彼等の頑迷不霊の結果、遂に我

をして已むに已まれずして立つに至らしめたのだ」

(『東京日日新聞』一九四二年三月八日付)と書いていたが、七十年という歳月を経て、よ

うやく『フーバー回想録』によって、蘇峰の主張が裏付けられたのだ。

 フーバーは、さらに重大な事実を記録している。
天皇陛下は、一九四一年十一月に駐日米国大使を通じて、「三カ月間のスタンドスティル
(冷却期間)をおく」との提案をされたが、ルーズベルトはこの提案をも拒否したと書いてい
る。アメリカの軍事担当も、冷却期間の提案を受け入れるべきであるとルーズベルト大統

領に促していたのだ。

 フーバーは、「日本は、ロシアが同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒してい
たのである。九十日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあれば、日本から〝全て
の糊の部分〟を取り去ることになり、太平洋で戦争する必要をなくしたに違いない」とも書

いている。

 当時、アメリカでは戦争への介入に反対する孤立主義的な世論が強かった。ルーズベル
トは欧州戦線に参戦するために、日本を挑発し戦争に引きずり込んだのである。日本国内
にも日本を日米開戦に向かわせようとする工作員が入りこんでいた。
実際、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動を行い、そ

のグループには近衛のブレーンだった尾崎秀実もいた。

―― ルーズベルト自身、反日的思想を持っていたとも言われる。
稲村 彼は日系人の強制収容を行い、「日本人の頭蓋骨は白人に比べ二千年遅れている」
と周囲に語るなど、日本人への人種差別的な嫌悪感を強く持っていたとも指摘されている。
 
Reply · 3 ·
· 20 hours ago
 
    Akikazu Totukawa · Top Commenter
    「真珠湾は奇襲ではなかった」 米国務省の公文書公開
     (駐日大使グルーの国務省あての公電報)
 
    アメリカが真珠湾攻撃以前に対日参戦していた証拠
    Reply ·
    · 20 hours ago
 
Yoshio Narisawa · TopCommenter · Works at Self Employed (Business)
さすが英国の諜報機関は日本の開戦を10か月も前に知っていた。これに日本は気付いて

いなかった。情報戦ですでに日本は負けていた。

Reply ·
· 8 hours ago