時間は悲しみを癒さない。 | おおかみとひつじ+こぞうとこチーター。

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2015/10/26、こぞう誕生!

2020/11/17、こチーター誕生!

少し昔語りをしてもいいだろうか。

ども、ひつじです。

大学一回生の頃。

入学したての

オリエンテーションで知り合って、

名前の順で分けられる一般教養の時間が

同じクラスだったAちゃん、Bちゃんと

ずっとツルんでいたんですね。

と、言ってもAちゃん・Bちゃんは

双子みたいにずっと一緒にいて、

ひつじは授業の時やランチの時に

二人にご一緒するくらいで

メールも全然しないような

関係性だったんですが。

気性の激しいAちゃんと、

マイペースなBちゃん。

前述の通り、特に絡みも少なく

個別に遊びに行ったこともないくらいの

希薄な間柄だったのですが。

夏休みだったかな、

長期の休み開けに唐突に

Aちゃん、Bちゃんから

ハブられたんですよ(微笑)

当時は全く意味が分からなくて、

わかるのは小さい頃から

ず~っと握りしめてる、


『自分は普通じゃない』


ってことだけで。

またやっちゃったんだ、と思いました。

知らないうちに

彼女らの不興を買うような

振る舞いをしてしまったんだ、と。

どうして自分はこうなんだろう、

と思いました。

どこをどう考えても

その原因が

思い当たらないあたりにも

絶望しました。

原因がわからなければ、

対処ができない。

存在が揺らぐのがわかります。

人を傷付けるために

生まれてきたわけではないのに。

自分が居るだけで、

相手が不快な思いをする、

そんな存在であるという事実。

うまくやってきたハズだったのに。

じ~っと観察をして、

対処法を山のようにインプットして。

存在が場に馴染むだなんて、

そんな大きなことは言わないから。

少しはヒトらしく

振舞えるようになっていたはずなのに。

全部、ぜんぶ、


かんちがい。


バケモノは依然、

バケモノのままで。


どうしてこうなんだろう、

と思い、

同時に馬鹿らしくも思いました。

大学生にもなって何やってんだ、と。

こんな今時

小学生でもやらないようなハブりに

いちいち傷付いてんじゃないよ、と。

袖触れ合った人の拒絶、

それを思っている以上の衝撃で

受け止めてしまう自分の脆さ。

情けない、と。

そして、ボロボロになった

ひつじがどうしたかっていうと、

安定に父の胸で泣きました。

THE☆ファザコン!(笑)

いや、笑いごとではないんだけどね。

確かこれがあったのが秋のこと。

そしてたぬパパが亡くなるのが

冬のこと。

アタマをヤられていましたので、

この頃にはもう

時間の感覚もないし、

過去も未来も

思い出も情報も

全部が混同しているような状況でした。

辛うじて最期まで

家族の名前を忘れなかったのが

奇跡でした。

そんな病院のベッドに

横になっているたぬパパに

抱き着いて静かに涙しました。

たぬパパは


たぬパパ『どうしたの?

泣いてるの??』



と確認した後、

理由は聞かずに


たぬパパ『大丈夫、大丈夫・・・』


とだけ繰り返して

優しく抱きしめて

ひつじの背中をなでてくれたのです。

その『大丈夫、』

また泣けたりしてね。

理由を確認するキャパが

たぬパパにもうないんだという事実。

そう遠くないいつか、

ひつじの側からいなくなってしまう体温。

処理キャパが少ない脳みそで

それでも空気を読んで

発してくれた『大丈夫』

こんなに愛してくれているのに

自分が【バケモノ】だということ。

いつまでたっても

うまくできないこと。


それでも、自分として、

生きていかねばならないということ。


全部全部がごちゃまぜになって

シクシクと泣きました。


悲しかった。

ただただ。


どうしようもなく、

ひとりだということが。


そんなことを、昨日、

思い出したのです。


時々ね、


『時間が悲しみを癒すから』


とかいう輩に出会いますが、

そんなこと言うやつは

ぶっ飛ばしたいです(笑)

悲しみが癒えるわけなかろうが。

些末な日常に追われて

思い出す頻度が減るだけで、

悲しみ自体は常に

鮮度を保って

其処に在るんだよ。

今だってただの思い出語りなのに

ハナすすりながら書いてる、

それが証拠だ!!(笑)


悲しみはね、

癒す必要なんかないんですよ、きっと。


特に『喪失による悲しみ』なんかは。

そっと、其処にあるだけでいい。

ずっと鮮度を保って在っていい。

気が向いたら寄り添う。

悲しかったね。

悲しかったね。

反面、

アナタはきっと思うだろう。


アノヒト、凄い存在だったなぁ。

(アノコでも、なんでもいい。

ヒトとは限らない)


こんなにワタシに影響を与えた、

得難い存在だったなぁ。


その気持ちって、

きっと、根源的な愛の気持ちだ。

悲しみが裏打ちする、

なんて静謐な気持ち。

それってきっと、

生きてきた過程とか、

積み重なったモノとか、

全然関係なくて。

本質的な魂のふるえなんだと思う。


だから、悲しみは、癒さなくていい。


受け止め、内包せよ。

それはきっと、

アナタ自身に返るための

重要なアイテムになるだろう。


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たぬパパのことはね、

ひつじの中では

いつまでも朽ち果てない

鮮やかな悲しみなんだなぁって。

思ったのです。

たぬパパのことを思うと、

いつでも泣ける(笑)

昨日も寝かしつけの最中

ほろほろ泣いてたら

パオたんにびっくりされたわい(笑)

どうしようもない悲しみの前では

34歳のひつじだって

童女に返るのですよ。


ひつじ『パオたんん~~、

ぎゅうしてえええ~、

大丈夫、大丈夫してえええ(泣)』



パオ『かっか、だいじょうぶ

だいじょうぶ・・・』


ハグしながら

腕をさすさすしてくれました。


最早どちらが子どもかわからない件について(笑)


でもさぁ、

母親だって子の前で泣いたっていいよね。

憎悪の涙はどうかと思うけど、

純粋な悲しみの涙はさ、

別にいいんじゃないかと。

母だってひとりの人間だし、

弱い母だからこそ、

しなやかな強さも併せ持てると

信じてるから。


因みに同じバケモノ諸君に朗報ですが、Aちゃん&Bちゃんの案件は後に『Aちゃんの片想いの彼の好みのタイプがひつじだった』という完全にひつじ個人の性質・気質とは関係なかったただの八つ当たられ巻き込まれ事故だということが発覚します(笑)バケモノの認識、こんな具合に大体事実とは異なること多し(笑)(っていうかこの件に関しては真実を推して知れって方が無理あるけど)擬態のための観察眼、まだまだです(笑)ポチっとな!↓