見逃した人へ 山本KID徳郁VS金原正徳
山本KID徳郁VS金原正徳
山本"KID"徳郁(やまもと"キッド"のりふみ、男性、1977年3月15日 - )は、日本の総合格闘家。神奈川県川崎市出身。本名は岡部 徳郁[1]。学歴は桐蔭学園高校中退~アメリカ留学~山梨学院大学中退。KRAZY BEE主宰。
ニックネームは「神の子」または「KID」。ニックネームの由来は本人曰く、「ミュンヘンオリンピックに出場した父親(山本郁榮)は自分の中では神。だから俺は神の子(KID)」「格闘の神様の子供」というもの。しかし、この発言以前に、「大学時代、俺の小柄な身体を見たレスリング部の先輩から、まるで子供みたいだから、KIDだ。と綽名されたのが最初」とも本人が語っている。
全身に多くのタトゥーを彫っている。右上腕には「大和魂」とタトゥーを彫っていたが、2009年4月にそれを覆い隠すように別のタトゥーを彫った。
ミュンヘンオリンピックレスリング・グレコローマン日本代表だった山本郁榮を父親に持ち、姉・美憂、妹・聖子は世界レスリング選手権大会を制覇している。祖父は水泳のオリンピック選手だったと自身のブログで写真付きで公開している。
2004年8月にモデルのMALIA(新保真里有)と結婚し、2005年1月には男児、2006年11月には女児をもうけるも、2009年8月に離婚。子供はMALIAが引き取った[2]。
来歴
幼い頃よりレスリング(フリースタイル)で活躍。全日本学生選手権優勝(フリースタイル58kg級)、全日本選手権2位(同級)等の実績を残した。
後に総合格闘家に転向。姉・美憂の夫(当時)であるエンセン井上に師事して2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級で優勝。翌2001年にプロデビューし修斗で活躍、ライト級世界ランク2位まで登り詰めた。
2002年9月16日、プロフェッショナル修斗公式戦においてレフェリーストップがかかったにもかかわらずレフェリーの制止を無視し相手の勝田哲夫選手を殴り続ける暴挙を働いたため120日間のライセンス停止処分を受ける[3]。この悪癖はK-1転向初期にもしばしば見られた。
2003年12月14日、修斗で王者アレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと修斗世界ライト級チャンピオンシップで対戦予定であったが、練習中に右手人差指を骨折し、全治2か月となり欠場した。
2004年2月24日、K-1初参戦となる「K-1 WORLD MAX 2004 ~日本代表決定トーナメント~」1回戦で村浜武洋と対戦。1Rに1度、2Rに2度ダウンを奪い、2R2分38秒KO勝利。潜在能力の高さを見せつけ、一気に人気選手となった。だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。
その後トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで魔裟斗に対戦を要求。魔裟斗もこれを受け、2004年12月31日のK-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!で対戦。1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、実況席からも続行は無理と言われる程であった。また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をした。インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。
2005年3月3日のHERO'S旗揚げ発表会見に出席し、HERO'S参戦が発表されるも、怪我のため、3月26日のHERO'S旗揚げ戦は欠場となった。
2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005にスーパーファイトで出場。しかしマイク・ザンビディスに生涯初のKO負けを喫した。
2005年7月6日、HERO'S 2005にスーパーファイトで出場。イアン・シャファーと対戦し、TKO勝利。
2005年9月7日、HERO'S 2005 ~ミドル級世界最強王者決定トーナメント~準々決勝でホイラー・グレイシーを右フック一発でKO、準決勝で宇野薫をパンチで出血させ、TKO(レフェリーストップ)勝ち。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!にてトーナメント決勝を須藤元気と対戦し、右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ち。HERO'Sミドル級王者となり、キャリア初のベルト戴冠となった。だが、勝利した直後「よくやった!お前らよくやった!」と須藤、そのセコンドの頭をなでた行為などが批判を受けた。
2006年2月17日、修斗代々木大会に出場した同門の菊地昭の試合後にドクターチェック中であった中山健児リングドクターに対し暴言を吐いた上、足先で臀部を小突いた。事態を重く見た日本修斗協会は2月21日、山本に修斗全公式戦会場立入禁止、山本が代表を務めるKILLER BEE(現・KRAZY BEE)所属全選手および関係者へ修斗全公式戦出場停止処分を下した[4]。翌2月22日にKIDが中山リングドクターに謝罪し和解したが、3月6日付けでインターナショナル修斗コミッション(ISC)よりKIDへの無期限ライセンス不許可処分およびKILLER BEEへの厳重注意処分を受けた。10月12日にKIDがISCおよび日本修斗協会に謝罪し、10月13日付けで無期限ライセンス不許可処分が解除された[5]。
2006年5月3日、HERO'Sで宮田和幸と対戦し、開始4秒の跳び左膝蹴り一発でKO勝ち。この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。
2006年7月23日、レスリング選手として2008年の北京オリンピック出場を目指すことを宣言。プロ格闘家活動を一時休止する。
2006年12月、スポーツ用品ブランド「リーボック」とのパートナー契約を締結[6]。
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で総合格闘技のリングに一時復帰。アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、1RKO勝ちを果たした。
2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権大会2回戦でアテネオリンピック銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、試合開始16秒でフォール負けを喫した。なお、大会前に同階級の有力選手からは「(山本に)1ポイントも与えるつもりはない」「7年もブランクがあっては通用しない」など、長期のプロ活動から復帰した山本を見下した発言が相次いだ。これは日本レスリング界の伝統の一つである「試合前はマスコミには大口を叩いて、自分を追い込め!」というモットーに則ったものといわれている。(記事アマチュアレスリングに関連記載有り)
2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。
2007年9月17日、HERO'Sでビビアーノ・フェルナンデスと総合格闘技復帰戦を戦った。腕ひしぎ十字固めをかけられ回転して逃げるなど危ないシーンもあったが、スタンドでのローキックなどでダメージを与え、判定勝ち。試合の1週間前に左手首の豆状骨を骨折した。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でハニ・ヤヒーラと対戦。ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。ヤヒーラがダウンした後の頭部へのサッカーボールキックに対してイエローカードが提示された。
2008年7月21日、DREAM.5でジョセフ・ベナビデスと対戦予定であったが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂し、欠場となった。同年8月1日に手術を受け、成功した。同時に前年に骨折していた左手首の手術も受けた。
2009年4月5日、DREAM.8のテレビ放送の解説を務め、メインイベントの桜井"マッハ"速人 vs. 青木真也でマッハが勝利後、「かっこよくて強いほうがいいっすよ、キモくて強いより」と発言した。
2009年5月26日、約1年5か月ぶりの復帰戦となるDREAM.9のフェザー級グランプリ2回戦でジョー・ウォーレンと対戦し、判定負け。
2009年7月13日、約4年2か月ぶりのK-1参戦となるK-1 WORLD MAX 2009 FINAL8でチョン・ジェヒと対戦し、1Rに右アッパー、左フックの連打を受け失神TKO負け。
金原 正徳(かねはら まさのり、男性、1982年11月19日 - )は、日本の総合格闘家。東京都武蔵村山市出身。パラエストラ八王子/チームZST所属。初代戦極フェザー級王者。
2003年9月15日、DEEP 12でプロ総合格闘技デビュー。
2007年3月12日、HERO'Sのオープニングファイトで徹肌ィ郎と対戦し、判定勝ちを収めた。
2009年3月20日、戦極初参戦となった戦極 ~第七陣~のフェザー級グランプリ1回戦でキム・ジョンマンに判定勝ちを収めた。5月2日、戦極 ~第八陣~のフェザー級グランプリ2回戦でジョン・チャンソンに判定勝ちを収めた。
2009年8月2日、戦極 ~第九陣~のフェザー級グランプリ準決勝で日沖発に判定負けを喫するも、日沖の負傷によるドクターストップで決勝に進出。決勝では小見川道大に判定勝ちし、戦極フェザー級グランプリ優勝を決め、初代戦極フェザー級王座を獲得した。