11分強の動画です。是非ご覧下さい。

 

あなたは、シナから漢字が伝わり日本語と使われるまで何年かかったか知っていますか?

 

答えはおよそ100年です。

実はこの100年というスピードは驚異的なのです。

 

シナから日本に漢字が伝わった時期は1世紀から5世紀までと様々な説があります。一一世紀以降、シナから入ってきた貨幣や土器などに漢字が刻まれていたので、この頃から漢字に触れていた日本人はいたでしょうが、文字として認識していたかはわかりません。

 

「日本書紀」によると5世紀の初頭、日本に初めて漢字で書かれた書物が公式に伝えられたとされており、これが「日本に名実共に漢字を受け入れた時」とされています。

 

初めは、漢字の音を日本語にあてはめて書く「万葉仮名」が作られました。そして「万葉仮名」の使用が一番早く見つかるのが5世紀末。

 

埼玉県の稲荷山古墳から発掘された鉄製の剣に万葉仮名が刻まれていました。よって5世紀初頭に漢字を受け入れ5世紀末には日本独自の万葉仮名を使っていたのなら、日本人は100年もかからずにシナから受け入れた漢字を日本語へ適用し使いこなしたのです。

 

そこから日本独自の文字である「ひらがな」「カタカナ」が生まれるまではおよそ200~400年かかります。

 

万葉仮名はシナの漢字をそのまま使っていましたが、その書き方はどんどん崩れて簡単になっていきます。そして8世紀にもなると、ひらがなの前段階ともいえる漢字の崩し文字「草仮名(そうがな)」が使われていました。更に草仮名がどんどん書き崩されて9世紀中には「ひらがな」が誕生したのです。

 

一方で「カタカナ」は「ひらがな」の完成より早く9世紀の初めに奈良の僧侶によって作られました。漢文を日本語で読む為、万葉仮名の一部を省略して作ったのが「カタカナ」でした。

 

こうして出揃った日本語の3種の文字。「漢字」「ひらがな」「カタカナ」

 

シナから漢字が伝わってから100年足らずで日本語として使いこなし、そこから200~400年で独自文字を作り出しました。

 

これがどれだけ爆発的な発展だったかを知る為に、日本と同じく漢字文化圏の朝鮮とベトナムを比べてみます。

 

どちらの国も朝鮮語とベトナム語を話していましたが、文字を使うのはわずかな上層階級のみ。シナ語で漢文を書く事がずっと続きます。

 

よって日本と同じ頃に漢字が伝わったとしても、朝鮮で「ハングル文字」が出来るまで1100年以上かかりました。

 

ベトナムでも、漢字を元にした万葉仮名のような「チュノム文字」が出来るまで900年以上かかっています。

 

それを日本では100~500年でできてしまっていたのです。

 

漢字を取り入れ独自の文字も開発した日本人は、その文字たちを使い記録や伝達に留まらず、豊かな言葉の世界を発展させていきます。

 

その中でも和歌は特筆的で日本語の特性をうまく引き出し短い言葉の中で深い人生観や情愛を表現します。

 

そしてこの和歌に日本人は1000年以上はまり続けたのです。

 

学校で習った数々の和歌の名作がなんとなくでも頭に浮かぶと思います。

そしてどれだけ和歌が日本史の重要人物の間で歌われていたのかもご存じの通りです。

 

文字を物凄い速さで発展させて文字にハマった日本人…。

 

しかしここで疑問がわきます。

 

日本人は何故、シナから漢字が伝わる前に文字を発明しなかったのでしょうか?

 

文字が日本人にとって重要なものだったのならば、それらしきものが以前からあっても良さそうです。

 

しかも5世紀以前の日本は、邪馬台国があったり巨大な古墳を作ったりで文化がそれなりに発展しているはず。それなのに、それまで日本で書かれたものが一切見つかっていないという不思議な事が起きているのです。

 

記録がないのでその答えは正確にはわかりません。

 

しかし、50年以上歴史の最前線で研究を続ける東北大学名誉教授の田中英道先生はこう言います。

 

『文字を必要としなかった文化は歴史上多くあります。例えばモンゴル、南米などがそうです。それでも素晴らしい文化を作り上げていました。古代の日本も文字が必要なかったのです。というのも、日本は文字で契約する必要がありませんでした。例えば広い大陸にある国の場合、距離が遠かったり文化の違いなどで、交渉の際はきちんと文字で伝え残す必要がありました。

 

しかし日本は島国です。同じ文化や同じ空間を共有している人が日本人同士の交渉のやり方で進めるので、話すだけで成立していました。

 

又、日本は自然が豊かで争いもなく誰もが生活を十分に保障されていたので、ああしろ、こうしろと集団を統率する為の強いルールを文字で共有する必要もありませんでした。

よって日本にとって文字は”外国”というものが侵入する危機感で生まれたのです。

それがこの時期でした』

 

外国との繋がりから文字を求め独自文字を爆発的な速さで開発した日本。

 

そしてその文字で言葉の響きを極限まで高める和歌のような文化を育みました。

 

そんな日本の文化に欠かせる事ができない文字ですが、時を近代まで進めていくと、歴史上2度消えてしまう大きな危機にぶつかっています。

 

危機の幕開けは、幕末の「漢字廃止論」

 

「日本近代郵便の父」とも呼ばれる前島密が、最後の将軍である徳川慶喜に漢字の廃止を訴えました。

 

その理由は、漢字を覚えるのに膨大なエネルギーが要る。それでは新しい技術や軍艦を開発する為のエネルギーが、漢字の学習に奪われてしまう。

 

幕末に黒船がやってきた事で、圧倒的な軍事力と技術力の差を見せつけれた日本人は、かつてないショックを受けます。

 

「どうしてこんなに差が生まれたのか?」その疑問の答えを何と漢字のせいにしたのです。

 

漢字反対の前島は「全部ひらがな表記」を唱え、「日本は漢字に毒されている」と主張しました。

 

この考え方は明治維新で更に勢いを増し、文字はここで一回目の大きな危機を迎えます。

 

西洋文明が日本になだれ込み、これまでの日本が根こそぎ変えられるような明治維新の大転換。西洋文明が絶対的に素晴らしくそれ以外は劣っていると考えが広がります。

 

「日本の遅れはこの複雑な感じを使う日本語のせいだ」という主張が知識人の間でどんどん強くなり1万年札の福沢諭吉も賛同していました。

 

更に漢字の廃止どころか、公用語を英語にしてしまうという討論すらされていたのです。

 

もちろん漢字を擁護する声もありました。

「西洋かぶれの考え方だ」「習得は大変でも結果的に便利だ」

 

結局昭和まで対立が続くだけで、無事に3種の文字は守られたのです。

 

そして戦後、二度目の大きな危機が訪れます。

 

それは占領下の日本にGHQの指令でやってきたアメリカの教育使節団がもたらします。

 

彼らはこう言いました。「書いた日本語は学習に恐ろしい妨げをしている」

「日本語を書くのに広く用いられる漢字の暗記が生徒に重すぎる負担をかけている」

 

そして、「ローマ字は民主主義的市民精神と国際的理解の成長に大いに役立つであろう。ローマ字の採用は国境をこえて知識や思想を伝達するのに偉大な寄与をするであろう」と全ての文字をローマ字にする事を提案したのです。

 

もしこれが実現していたなら、日本の姿はどうなっていたでしょう…

 

これは、現代のベトナムの風景ですがラテン文字が使われています。かつては漢字やチュノム文字という独自の文字があったのにすっかりラテン文字の世界です。

 

これは、マレーシアの風景ですが、こちらもラテン文字が使われています。

かつてはジャウイ文字という独自の文字があったのですが、イギリスの植民地時代からラテン文字になりました。

 

これはインドネシアの風景ですが、こちらもラテン文字。かつてはインドネシアもジャウイ文字が使われていましたが、オランダの植民地時代からラテン文字になりました。

 

フィリピンもかつてバイバイン文字という独自文字がありましたが、スペインとアメリカの植民地時代でラテン文字になりました。

 

もしこれらの国のように日本語が独自の文字を捨ててローマ字化していたら、日本の風景も私達の考え方も根こそぎ変わっていたでしょう。

 

話を戦後に戻すと、当時のアメリカは「漢字が難し過ぎて日本人の識字率は低いだろう」と考えていました。「日本人は文字が読めず情報が得られないから、民主化できずに軍部がひたすら暴走したのだ」と考えていたのです。

 

ところが終戦から3年後、日本全国から抽出された約17000人を対象に識字テストを行ったところ、漢字を読めない人はたったの2%。

 

日本は当時のアメリカより、識字率が高かったのです。

 

結果が予想外過ぎて唖然としたアメリカは、ローマ字化を諦め日本語で民主化を進めた方が早いと判断します。

 

ローマ字化によって大きな混乱を招き、いわゆる民主化が遅れるのを避けたのです。

 

このように2度目の大きな危機も回避されたのですが、文字の受難はまだ続きました。

 

その後の日本は経済が著しく成長。

 

そして正式な文書と言えば、当時はまだまだタイプライターの時代でした。

 

英文のタイプライターであれば、文字のキーは50ほど。しかし、複雑な日本の3種の文字を打つ和文のタイプライターとなると、漢字を含めて何と2000文字も3000文字もキーがあったのです。

 

文書を打つのは至難の業。

 

ブラインドタッチなど到底無理でした。

 

「これでは欧米の進んだ文化についていくことは到底出来ない!」と企業や文部叫び叫びカタカナ文書を求める声を上げたり漢字の数を減らす事に動き出します。

 

しかしここでも、時間はかかりましたが、日本の文字は受難を切り抜けます。

 

その救世主はワープロの誕生でした。タイプライターの時代を終えて登場したワープロはデジタルで文字が変換できます。

 

よって和文用のキーボードからも大量のキーが削減され、こうして日本語は又守られたのでした。

 

いかがだったでしょうか?

 

毎日なにげなく使っている日本の文字。

 

約1500年前の誕生から歴史を辿れば、その爆発的な発展と乗り越えてきた数々の危機が明らかになり、その結晶が今なおここに残ると思えば奇跡にも感じられます。

 

世界の歴史では数々の文字が生まれましたが、今でも使われているのは30ほどしかありません。

 

ですが、疑問はまだ残ります。

 

何故日本人はこんなに速く独自の文字を完成させて使いこなせたのか?

 

何故日本は、これだけ何度も外国の圧を受けながら日本語を守り抜けたのか?

 

その答えは、日本の謎のもっと奥にありそうです。

 

しかし、日本の文字には私達祖先の努力と思いが込められている事は間違いありません。

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