下記を抜粋させて頂きます。<(_ _)>

滞仏日記「漫画家さんの死に心痛を覚える。ドラマが原作者を殺すことに反対する」Posted on 2024/01/31辻 仁成 作家 パリ

某月某日、「セクシー田中さん」という漫画の原作者である芦原妃名子さんが自死をとげたという壮絶なニュースを、さきほど知り、衝撃を覚えている。


彼女が描いた漫画のドラマ化の段階で、テレビ局側とトラブルがあったようだが、そのテレビ局によるニュースをネットで確認したが、「感謝しております」という表現に違和感と憤りを覚えてならなかった。
 

ぼくは、ちょうど同じタイミングで、韓国ドラマの原作を担当している。
しかし、仲介に入った日韓のエージェントが、ドラマ化の発表を原作者であるぼくに知らせなかった。
 

そのニュースが世界に配信され、ぼくは知人から、ラインを通じて、知らされたのだ。
信頼できなくなり、この日記で、(原作は引き下げないが)もうこのドラマには関わらない、と書いた。
 

当日記を読まれてきた皆さんはその経緯をご存じだと思う。


契約では、「撮影前に脚本を読ませる。原作に忠実に再現をする」というような内容が盛り込まれていたので、それ以前の問題として、怒った父ちゃんであった。
 

ところが、韓国のドラマ制作会社のプロデューサーがぼくの日記を人づてに聞きつけ、読んで、監督にそのことを伝え、監督自ら原稿用紙5,6枚の長い謝罪の手紙を書かれた。
この監督とプロデューサーの行動が、うつむいたぼくの心に届くことになる。
全文掲載したいくらいの誠実な文章だった。しかも、彼らはエージェントを攻撃していない。
自分たちがドラマ化に向けて万全な体制でいられなかったことへのお詫びが書かれてあった。会ってお詫びをしたい、と書かれてあった。
 

そこで、実際に、会って話し合い、彼らが抱える多くの事情を知り、ぼくは最終的に「監督の思うように撮影をしてください」ということを伝え、彼らも原作にできるだけ沿う形でドラマ化することを誓ったのだった。

 

しかも、監督さんは、両国国技館で行われるギタージャンボリーを観に行きます、と約束をしたのである。ま、それはいい、として・・・。
こういうやりとりがあると、原作者は安心できるものだ。
怒っていたが、監督の誠意に、納得は、できたのだった。
最終的に、ぼくはいつも同じことだが、原作とドラマは別ものだから、監督が思うよう演出をしてください、と伝えて、現在に至っている。

 

ぼくは映画監督でもあるので、とくに小説をドラマにすることの難しさもわかる。
これは、同じにやりたくても、実に難しい問題が横たわっている。
映画ならまだしも、(いや、映画は逆に短すぎて、小説を端折る形になる)、逆に、ドラマだと尺が長く、漫画の場合がどうか、その点はよくわからないが、小説をそのままテレビドラマにするのは困難なのだ。
ぼくは菅野美穂さん主演のドラマ「愛をください」の全脚本を書いたことがある。
小説も存在するが、ドラマと小説では速度が違いすぎて、小説の原案をそのままドラマにすることは不可能なのだった。

 

しかし、芦原さんがテレビ局と結んだ契約は、「原作に忠実に再現する」ということが盛り込まれていたというし、他にも、相談できる関係者はいたはず。
芦原さんが、約束が違うと悩み、ご自身で最後の方の脚本を書かれたようだが、いろいろとしこりが残ったのだろう、傷つき、そこに信頼を託せる人間が介在していなかった、ということが一つの要因となり、ごめんなさい、というような原作者なのに謝罪しなければならない辛い立場においやられ、お亡くなりになるという最悪の事態になってしまった。

 

誰が悪いというのは、部外者のぼくにはわかるはずもないが、少なくとも、原作者の、原作、という言葉の重みを思い出してもらいたい。
そこに読者がいて、そこにもともとの原案、つまり、作者の意思があって、生まれた作品の根っこなのである。
それなのにテレビ局は、他人事のようにニュースで「感謝しております」、は違うのじゃないか、と思うのはぼくだけだろうか。

 

人がこの問題で苦しみ、亡くなられて、感謝、という言葉は、おかしい。
双方にどのような行き違いがあったのか、わからないが、死は残酷すぎる。

 

テレビ局や脚本家さんや制作サイドや出版社を攻撃するな、という人がいるが、攻撃ではないし、第二、第三の不幸が訪れる前に、このような体質を改めるべきではないか、と思うのだけれど。
 

原作者に誰が寄り添うことができるのか、と自分のことではないが、悲しすぎて、ため息がこぼれる。
 

なぜ、芦原さんが死ななければならなかったのか、テレビ局は第三者の究明委員会を結成し、視聴者や芦原さんの家族やファンに対して、また、ドラマのスポンサーをやった企業に対して、説明する必要があるのじゃないか。
彼女の痛みは、彼女の作品が好きだった人だけじゃなく、コツコツと作品を創作してきたあらゆる表現者に通じる苦悩なのだ。

 

中略

 

芦原さんが抱えたであろう苦しみがぼくには、なんとなく、よくわかる。
 

彼女と仕事をしてきた人たちは、彼女の心にもう少し、少し、寄り添えなかったのだろうか? 
 

権力の前で苦しむ原作者の声なき声が、心を軋ませる。
 

あの日の自分と重なり、言葉が強くなってしまったが、ものをゼロから生み出す者は、人に言えないほど苦しい思いをし、作品を自らの血の中からひねり出している。
そして、その作品は子供のような存在なのだ。

つづく。

 

この悲しい出来事が繰り返されないよう、愛を持って、作品を作ってほしいですね。よろしくお願いします。

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