約12分の動画です。是非、お時間を作ってご覧下さい。何故、日本人ばかりやり玉に挙げられるのか、何故日本人だけが原爆投下されたのか等々の理由が明確になり、日本人としての誇りを取り戻せます。

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あなたはこの画像に映る人々がどこの国かわかりますか?

ヨーロッパの国の人ではありません。アメリカ人でもありません。

正解は南米のアルゼンチン人です。

少し意外に思われるかもしれませんが、アルゼンチン人の殆どがご覧のように白人の見た目をしています。何と国民の97%が白人系なのです。

 

アルゼンチンだけではありません。例えば、南米のウルグアイでは88%が白人。コロンビアでは、白人と白人の混血系が78%を占めています。その他、南米のほぼ全ての国において白人系・白人との混血系の人種が人口の多数を占めているのです。

 

南米の国でありながら、何故これほどまでに白人系が多いのでしょうか?

 

これには、「植民地の歴史」深く関係しています。

 

南米には、15世紀頃からスペインとポルトガルがやってきました。当時、世界で覇権を握っていたこの二大国は、南米の国々を次々に征服。

先住民を殺すか、病死させるか、奴隷にして支配域を広げていきました。

 

それによって数千万人もの先住民の命が奪われます。

 

ペルーでは、インカ帝国時代に1000万を超えていた人口が1796年には108万まで減少したとされています。結果的にアルゼンチンやウルグアイなどの国は、ほぼ完全に白人だけの国家になりました。

 

先住民の文明も、種も、痕跡さえなくなっています。

 

同じ南米でもエクアドルやボリビアなどには、原住民系の顔立ちの人達が数多くいます。しかし、先住民系とはいっても、彼らは100%白人種との混血。先住民の持っていた言語や文化などは、ほぼ多くが喪失してしまっています。

 

このように南米では、植民地支配の歴史が現在の人種構成にも大きく影響を与えているのです。

 

しかし、ここで一つの不思議な謎が浮かび上がります。

それは…

一体何故東南アジアには、白人国家がないのか?  という謎です。

 

というのも、かつて東南アジアにも、同じように植民地支配を広げようと野望を持ったスペインやポルトガル、その他、イギリス、オランダなど多数の欧米列強国が到来してきていたからです。

 

しかし、不思議な事に今の東南アジア諸国では、アルゼンチンやウルグアイのように完全に白人だけの国になったところはありません。白人系の人種も全く多くはありません。

 

一体何故でしょうか?

 

実はこの不思議な謎には「日本」が歴史的に深く関係していたのです。

 

何故、東南アジアに白人国家がないのか

   ~西洋人に恐れられた日本人の正体~

 

その謎を紐解くカギは、日本で織田信長や豊臣秀吉が活躍していた時代、15世紀~16世紀にまで遡ります。

 

ちょうどその頃、世界では「大航海時代」が到来。スペインやポルトガルを筆頭にイギリス・フランス・オランダなど西洋列強の国々が領土拡大を求めどんどんアジア地域へもやってきていました。

 

南米と同様、彼らは現地住民にアヘンや綿製品を法外な高値で売り付け金銀財宝・物資・労働力まで奪い去っていきました。

 

そして、反抗する住民がいれば、容赦なく殺すか奴隷にするという方法で次々に支配域を広げていこうと企みました。

彼らの最終目的は、もちろん一国でも多く「植民地支配」する事でした。

 

しかし、そんな彼らも、東南アジアではそう簡単にはいかなかったようです。

 

当時、彼らの植民地政策をする上で「邪魔者」が立ちはだかったからです。

 

その邪魔者とは、実は東南アジアで貿易活動を行っていた「日本の商人」達でした。

 

この時代、数多くの日本の商人達が「八幡船」(はばんせん)と呼ばれる大型船で東南アジアへと渡っていました。後に、乗船員300人をも超える超大型帆船「朱印船」が造られると、あの有名な「朱印船貿易」として東南アジアと日本の貿易はかつてないほどの繁栄を築きました。

 

多い時では実に1千万を超える商人達がベトナムやタイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、インドなど多数の国に渡り各地で「日本人町」を作り、そこを拠点に海外貿易を盛んに行っていたとされています。

 

そして、、、実はそれらの日本の商人達が、現地で傍若無人を働こうとする白人達に毅然として立ち向かい、彼らの不正を制圧していたのです。

 

実際にこのような記録が数多くの歴史資料に残されています。

 

これは「昭和の天才」と呼ばれた歴史学者、仲小路彰(なかしょうじあきら)が戦前に記した『英米の罪悪史』という名の書物です。

 

この書物は、何故か第二次世界大戦後、日本を占領したGHQ占領軍によって「禁書指定」にされています。本書を読むとこのような事が書かれています。

 

南北朝時代以降、堂々たる「八幡船隊(はばんせんたい)」は、盛んに南海に雄飛し、マレー半島、フィリピン群島、蘭領インド諸島より、遠くインドに及ぶ地域は、ことごとく「八幡船隊」の勢力下に帰していたのでありました。これらの日本海軍力の発展は当然に、西洋の「東洋・太平洋侵略」と全面的に衝突し容易に彼らの植民地化を許さなかったのであります。

 

このように日本の商人達による東南アジアでの活躍ぶりというのは、戦前までは「よく知られた歴史」だったようです。また、その一例として、現地で偉業を成し遂げた「英雄」たちのエピソードもいくつか残されています。

 

例えば、戦前の日本では有名人だった「山田長政」という人物をご存じでしょうか?

 

実は、彼について記された書物も21点ほど、戦後GHQによって没収・廃棄処分されてしまっています。

 

江戸時代の初期、「海を渡って一旗揚げる!」そんな大志を抱いて、日本からタイ(シャム王国)へ渡った一人の日本人商人、それが山田長政でした。

 

彼は、商人でありながら、軍人としても優れた才能を持っていました。はじめは、タイの「日本人町」のリーダーとして活躍していましたが、その後、武将としての統率力を買われ、何とタイ国王の信任を得て「日本人傭兵隊長」を組織。タイ王国を最前線で防衛するという大役まで任されたのです。

 

そんなある時、巨大なスペイン艦隊が、タイに奇襲を仕掛けてきます。

山田長政率いる「日本人義勇兵」達は、当時、世界最強だった艦隊に乗り込み、大激闘を繰り広げました。

 

死闘の末、長政らはスペイン艦隊の隊長を撃ち取り、約三千人ものスペイン人を捕虜にし、見事に勝利。無事、タイを守り抜き、王朝の平安が保たれる事となりました。

 

その後、長政らは再度、スペイン艦隊を撃ち破ります。

 

その功績により、長政は国王からの全幅の信頼を得て、何と王朝の最高官位「オークヤー」の地位まで上り詰めました。

 

その頼もしさに、タイの国王は江戸幕府に使節を送り、「日本人をもっと移住させて欲しい」と要請したほどでした。

 

最終的に、長政はシャム王国の一地方「サゴール国」の王位を得て一国を治めるまでに大出世したのでした。

 

しかし、このように勇敢に戦ったのは、「山田長政」だけではありません。

 

日本の貿易船の船長を務めていた「浜田弥兵衛(はまだやひょうえ)」が台湾を占領したオランダと戦った記録も残されています。

 

彼について記された書籍は約76冊に及びますが、それらも多くがGHQに没収されてしまっています。

 

1624年、オランダは植民地支配を広げる為「台湾島」を占領。外国船に法外な関税をかけ、貿易を独占しようとしていました。

 

その理不尽なやり方に浜田弥兵衛率いる日本の商人らは強く抵抗し、オランダを懲らしめる為、台湾へと向かいます。

 

しかし、オランダの台湾総督「ノイツ」の待ち伏せにより弥兵衛達は拘束されてしまいます。拘束から一か月以上経った6月29日、弥兵衛は最後の交渉に挑むもオランダの台湾総督ノイツは全く聞く耳を持ちませんでした。

 

そこで弥兵衛は、一斉にノイツに飛びかかり素早く剣を抜いて彼の胸の上にかざし、彼を縄で縛りつけたのです。急報に駆け付けたオランダの兵士達が屋外から弥兵衛に銃を構えると、弥兵衛はそのオランダ兵を睨みつけ、こう命令します。

 

「もし、一個の弾丸が俺らに命中しても汝らの長官を刺し殺してしまうぞ。どうだ?それでよければ、俺らを撃て!」

 

そう怒鳴りつけノイツの首に剣を突きつけたのです。この声を聴いてノイツは真っ青になり、兵士に「撃つな、撃ってはいけない」と懇願したのでした…

 

こうして弥兵衛は6日間に渡り交渉を粘り続け見事オランダと「和解」を成立させるのです。

 

この一件以来、オランダは日本に対して強気に出る事が出来なくなったと言われています。

 

この他にも、フィリピンを侵略しようとしたスペイン人に対して現地住民達が日本人の力を得て戦おうとした、そんな記録も多数残されており、東南アジアを侵略しようとした白人列強の国々は、ことごとく日本人に制圧され、彼らの植民地支配の計画は長い間、思うように進まなかったようです。

 

その後、日本の「鎖国」政策によって日本人町の勢いは、急速に衰退してしまいますが、しばらくの間、日本人を恐れた白人列強国は、東南アジアには近づこうとしなかったとされています。

 

その結果、東南アジアでは、白人国家によって完全に滅ぼされて現地の人の血が絶える、或いは完全に混血してしまうという事があまり起こらず、殆どの国において、人種を維持する事が出来たと考えられているのです。

 

何故東南アジアでは白人国家が一つもないのか、実はそこには勇敢に戦った日本人の知られざる貢献がありました。

 

もし信長・秀吉の時代に、日本が東南アジアとの交易に進出していなければ、今現在、東南アジアの中にアルゼンチンのような白人国家が存在していたかも知れません。

 

もちろん、一部を美化したり少し大げさに記述されている可能性もあるので、「日本人がいたから白人国家がないのだ」と一括りに断定して言い切れるものでもないでしょう。又、地理的な背景や当時の情勢など他にも様々な理由が関係していた可能性も考慮すべきだと思います。

 

しかし、こういった歴史の記録が残されている以上、私達日本人にとって誇らしい話でもあるので、是非日本の子供達にも伝えていきたい内容ですよね。

 

戦前・戦中までの歴史の教科書や書物には、こういった事実がしっかりと書かれていたのですが、今の歴史教科書には殆ど書かれていません。

 

例えば、山田長政についての武勇伝は、戦前は「教科書」で出てくるほど有名でした。しかし、戦後以降は殆ど語られなくなり、今では、「山田長政」の名を知る人も少なくなっています。

 

終戦後にGHQ占領軍が「禁書指定」とした事で、戦後の日本国民が知る事も困難になってしまったようです。

 

しかし、禁書指定された戦前の書物にこそ、私達日本人が知るべき重要な歴史が隠されていると言えるのではないでしょうか。

 

是非、お時間があれば、このような戦前の書物を読んでみる事をお勧めします。

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