約一時間の動画ですが、是非お時間を作ってご覧下さい。

 

《一部文字起こし》

 

桜井よしこ

「私が見る限り間違いなく安倍総理の心の中に一番深く位置づけられていた兄弟のような身内のような存在だったという風に思います。記者の領分を越えて人間と人間としての共鳴する部分が非常に多くあった。ですから自分の心の内を打ち明けて相談をしたり語り合ったり時には励ましあったり慰めあったり、時にはぶつかる事もあったのかも知れませんけれども、阿比留さんほど安倍総理の心の中にしっとりと深くその位置を築いた人はいないという風に思います。今日は阿比留さんが、本当に計り知れないほどの愛情と友情を総理の中に注ぎ信頼を打ちたて、政策面でも私達の余人の及ばないレベルまで踏み込んで安倍総理を助けてこられたと思います。安倍総理が求めたもの、安倍総理が目指したもの、そして私達が引継ぐべきもの諸々についてお話を頂ければと思います」

 

阿比留

「創生日本というと、平成21年に中川昭一先生の急逝に伴って安倍先生が後を継ぐ形で活動を続けてこられた。第二次安倍政権の母体のような会でありますが、私の二十数年前の結婚式に来てくれた政治家が中川先生と安倍先生だった事を思い出します。お二人とも亡くなってしまうというとんでもない状況になりましたが、それだけにこの創生日本に期待することがこれからも大きいという事になっております。安倍先生当選二回の平成10年7月から初めて取材をしてまして、当時安倍先生の秘書の飯塚さんという方から代議士が初めての番記者だねと言われた事は未だにはっきりと覚えています。随分と長い間取材をさせて頂き、光栄で記者として幸せな人生だったと思っております。

 

印象深い安倍先生の言葉を言うと、第一次安倍内閣時代、自分はあと何年総理が出来るかわからないけれど、保守で10年繋ぎたいと仰ったんです。保守政権が10年続けば、霞ヶ関の官僚は頭が良いから皆保守派じゃないと出世できないと思って保守派の勉強すると。そうすると社会にその考え方が広がっていくと。実際安倍さんは一時政権は一年で終わってしまったんですが、その後7年9ヶ月の二次政権を合わせるとほぼ10年位保守政権を築き上げて、本当に多く日本社会を変えていった事と思います。

 

平成9年にここにいる江藤先生と古屋先生、皆さん達と日本の伝統と歴史教育を考える会を若手議員と作って、慰安婦問題が全部の教科書に載った事に関しての勉強会を開き『歴史教科書への疑問』という一冊の本にまとめて。これは本当に大きな成果だった。後に第二次政権で河野談話の検証を行い、実は何の根拠も証拠もなかったという事を河野洋平らに聴いていた事を更に深めて世に問いました。慰安婦問題が焼結を極めて居る時に、外務省は歴史問題では日本は既に負けているから何もしない方がいいと。しかし今や道半ばではあるけれど、間違っている事、事実ではない事には反論しようという気運が日本社会にも生まれてきました。シナや韓国に何か言われたら、ごもっともです、すみませんでしたと謝っていた外交も最早終わりを遂げました。

 

更にいうと、シナや韓国が歴史問題で騒ぎ出すと先の大戦の記憶からそれに同調しがちだったアメリカやオーストラリアとも安倍政権で和解を果たしました。アメリカでは歴史問題は提起される事は考えられないですね。オーストラリアに至っては、もっと凄い。安倍先生の国葬には歴代4人の首相がお見えになりました。その中の一人アルバジーニ首相は連邦議会で安倍さんの追悼演説を行ってこう言っています。私達は安倍氏の生涯を祝福しなければならない。彼の人生はそれほどの成果をもたらすものだった。安倍氏は日本や私達の地域で又、世界中で事態を良い方向に変えてくれた。外国の首脳がここまで言う、と。オーストラリアの首相は安倍先生をメンターとしてたと聞いていますけど、昭恵さんがモディ首相に聞いた話によるとモディさんも安倍さんをメンターと呼んでいたと。世界の枠組みを変えたんですよ。

 

私は安倍さんという政治家は、色々な意味で日本がギリギリ間に合うように図ってくれた方だと思っています。冒頭で言った歴史問題でもそう、今言ったオーストラリア、インドを含むクワッド等新たな枠組みもそう、世界がシナの台頭を甘く見てアメリカのようにシナは豊かになれば民主化していくだろうというものとは違うと、今に至る準備を安倍先生はきちんとしてくれたんだと思っています。第一次政権の時に、防衛庁を省に昇格させて、教育基本法を60年ぶりに改正して、憲法改正の為の国民投票法を用意したと。その時は一年で終わってしまったけど二次政権以降でそれが正しく今結実してきていると言えると思っています。本当にぎりぎり間に合ったんですね。

 

今このシナの台頭と台湾有事はあるかないかではなくて、いつあるかという時代になった時に、あの時国会前でデモが起ころうとどうしようと安全保障法を作って良かったじゃないかと、アメリカとオーストラリアと和解したからこそ安全保障上、非常に上手く行くようになったじゃないか、と。第一次政権でNATO本部で演説して、ありとあらゆる事が安倍先生が準備していた事が今何とか間に合っていると思います。

 

昨今の情勢もそうです。一昨年の12月に台湾のネットシンポジウムで台湾有事は日米同盟の有事であると言った、これはわかっている人には当たり前だけどわからない人には何言ってんだって話だったわけです。そこで問題提起したからこそ今のスムーズな動きが取れると思っています。敵基地反撃能力、安倍さんはよく打撃力と言っていましたけども、これについても若手議員の頃から四半世紀前から、更に第二次安倍政権を病気で終える時に首相談話として問題提起をされたと。だからこそスムーズに皆の頭に入った。

 

防衛費GDP比2%にしても、安倍先生が財務省を押し返してその言葉を入れ骨太にしたと。それによって今回の安保3文書等がスムーズに進むようになった、これは今日の日本の礎を築くと同時に世界の枠組みも変えてきたという事がはっきりと言えるんだろうと思います。キーワードはやはり安倍さんの戦略性なんですね。一つ一つが目的・合理性を持った戦略を組み立てて考えている人だったと思います。

 

第一次政権を終えて私服時代に安倍先生は地元に帰って地元周りを熱心にされたわけですが、当時、実は私は小学生にも名刺配ってるんだよね、と言われたんですね。小学生は家に帰ったら名刺を両親に見せると、それが大事なんだと。私達のような記者に対してもちゃんと接する。安倍先生はほふく前進を好まれたと思います。

 

一方で人を長い間、見極めようとする方でもありましたね。言葉の端はしに凄みを感じる時があったわけです。安倍晋三回顧録の中で、私は殲滅はしないからという言葉が出てきます。あの時点ではそうだったんでしょうが、去年の正月当たりから、これからは敵は殲滅するという言い方をされていたんですね。安倍さんが引いたレールをそのまま走ればいいという状況がそこにあるんだと思っています。

 

オバマ政権まではアメリカにとって北朝鮮の核・ミサイル問題を解決するに当たって拉致問題は障害扱いされていた。だけど、安倍先生がトランプ始めアメリカ側に拉致問題を一生懸命説き伏せた結果、北朝鮮のミサイルのプロセスの中に拉致問題が入ったと。そしてトランプさんは三度、キム・ジョンウン本人に拉致問題を解決しなさい、マイベストフレンド晋三に会いなさいと言った。習近平ですらキムに言った。かつてない好条件があって、今北朝鮮は飢餓が酷くて餓死者がどんどん出てるそうですが、ここでキムらが耐えられないとなれば直ちに拉致問題は動く。

 

安倍さんは建設国債を防衛費に使っていいじゃないかと。日本国自体を後世に残す事を消耗品扱いはおかしいという事ですよね。

だってコロナでいくら金使ったんだと。あれ使えて何故防衛には使えないんだとは国民誰しも不思議に思うと思います。

岸田さんご自身も安倍さん路線を引継ぐと、安倍さんがやり残した事を片付けるという意識が非常に強いと聞いていますので、そこは期待したいと思っています。

 

核共有も安倍さんは提起されました。NATOのうち6カ国はアメリカと核共有している。色んな安保上の問題はクリア出来たけれども北朝鮮の核・シナの核の問題を考えるとそれだけではなく次の段階も考えなければならないと常に戦略的に前を向いて考えておられたと思います。

 

もの凄く有名なマックスウエバーの言葉として好きなのは

断じて挫けない人間、どんな事態に直面してもそれにも関わらずと言い切る人間、そういう人間だけが政治の天職を持つ

安倍さんは本当にそういう人だったなと過去形で語るのは残念なんですがそういう風に思っています。

人柄としては、本当に優しくて律儀で時に頑固でほんのちょっと意地悪なところもありましたけれども、本当に愛すべきっていうよりも尊敬すべき人でしたがそれ以上に政治家だなと思いました。ある時スピーチライターの谷口さんと話していた時、安倍さんは近現代史にもの凄く詳しいと。谷口さんが仰っていたのは、だって日本の近現代史は安倍さんにとってファミリーヒストリーだからと。政治家の二世三世というと批判される事が多いんですが、良い意味での政治家の二世三世も当然あるわけですよね。

 

長州というところに誇りを持っていらっしゃったので、吉田松陰についてもよく話されていました。

 

第一次政権の所信表明演説の時にも、吉田松陰は僅か三年ほどの間に若い長州藩氏に志を持たせる教育を行い優位な人材を多数輩出しました。この志とは何か、多岐に渡るでしょう。伝統や文化、祖父母に愛情を持つ事、未来に向けて日本を発展させる事、と同時に安倍さんのやってきた事、外交や安全保障上の功績は沢山の方が語ると思いますが、やはり自ら再チャレンジを掲げて、いったん総理をやめて、世間にボロクソに言われて、あの短期間で立ち上がってもう一度総理になって最長の政権を築いた。これ自体が奇跡のような話ですが、難病を持つ人にどれだけのやれば出来るという事を示したのか、蹉跌の傷は凄く深い傷をつけた筈なのに、それはいつの間にか前向きな事に変わっていると。それが安倍さんの特質の一つかなと思っています。

 

現在の状況では不安を感じています。自民党さんは、ここに居る創生日本の先生は基本的に保守の考え方でしょうが、自民党全体を見ると必ずしもそうではない。安倍さんが中心に居る時は、陰に日向に色んな働きかけをしていたが、今はもういない。だから自民党が違う方向に後退しない事を心から祈っています。LGBT法案にしても、同性婚の話にしたところで、急進的な人達の言う事に耳を傾けて上手くいった事なんて世の中ないんです。

 

何かを成そうとしたら必ず回り道をしろと。直線的に進むなって事です。安倍先生はずっと運が良かったのに最後はああいう事になってしまいました。いろんな問題がある中で事の慶弔と優先順位を考えて物事は進めて頂くと国民の1人として本当に有難いと思っています。安倍さんは律儀だから約束は必ず守るし嘘ついたり変な誤魔化しは一切しない人でした。ですから取材してても信用出来るし本当に誠実な人だったなと思ってるんですね。常に徳富蘇峰の言葉を思い出すんですね。

 

『彼が一生は、教唆者に非(あら)ず、率先者なり。夢想者に非ず、実行者なり。彼は未だかつて背後より人を扇動せず、彼はつねに前に立ってこれをさしまねけり』

 

保守派は往々にして短気な人が多くてせっかちで直ぐに結果を求めるんですが、安倍先生は我慢していた。

安倍さんは一時政権と併せれば8年9ヶ月も種々を撒き続けて更に創生日本その他沢山の方々がそれを受け止めていらっしゃるので、本当に沢山の花が咲いて実をつける事を期待して止まない。そうじゃないと日本が持たないと思っています。

 

今日本が取り組まなければならない近々の課題は何かと優先順位をつけてやって欲しい。それは経済成長だったり安全上の備えだったりであって人の心、内面の問題を法制化する事ではないと思っています。

 

安倍さんはリベラル派が嫌いなのは皆さんよくご存知だと思いますが、時々話しておられたのは、リベラル派の人達は本当に社会や人間に対する理解が浅いよね、と。私もそう思うんです。菅直人さんを見て下さい。何一つ世の中の事わかってないでしょう。思考がぶつ切れなんですね。何でも法律で解決出来る事ではないと思っています。これは全体主義の発想だと言わざるを得ない。マルクス・レーニン主義の人達(共産主義)と似た方向になるわけですね。

 

安倍さんがG7の会議で日本と距離が遠い中東地域について持論を述べるとフランスの大統領がいきなりメモを取り出したとか。色んなエピソードが思い浮かびます。トランプさんが晋三のいう事には従うと言ってたのは有名な話ですが。そういう場面を見た外交官達が率直に驚きを表していたのを今も思い出します。

 

歴史問題、私は慰安婦合意はとても良かったと思っています。未だに文句をつける人いますけど、合意によって慰安婦問題はもう韓国の国内問題になったと。韓国政府レベルでは少なくとも文句付けられない。民間は徐々に終わっていく状況になっています。

シナは難しいですね、こうなってしまうと。安倍さんはシナと喧嘩しようとしたわけではなくて、シナに備えようとした。シナに金をつぎ込んだり協力したわけではない。日本はシナとロシアの両面作戦はとれないと。従って日本はロシアを惹きつけなければならないという戦略的発想の方が安倍さんらしいと見ていました。

 

安倍さんがやろうとしていた日本を良くしよう。そして先祖達も不当に貶められる事は許さない。そして経済を強くする事は存在感を強め世界に影響力を発揮できる事だという信念が大事。

 

二次政権でTPP成立に舵を切りました。反対派がいましたが、私はTPPで世界日本化計画をすれば良いと思っていました。荒唐無稽かもしれませんが、それくらい日本の良さを広め、日本文化、日本のやり方、日本独自の合理性を世界に広めるチャンスだと思っておりました。

 

安倍さんは色んな事を遺してくれました。政治家がやるべき政治のプロセスはどうあるべきか、先ず数を集める、仲間を作る、その中で本当に真となる核となる中心グループが必要になる。そしてその仲間と物事を成し遂げる。第一次内閣はお友達内閣と言われたけど全然お友達じゃなかった。各派閥の推薦で入ってきたのにお友達と言われる。で、色々問題が起きた。でも第二次政権で作った最初の布陣はある意味お友達と言える人が多かったにも関わらず非常に上手く運び不祥事も起きなかった。マスコミなんていい加減ですからこんなもんですよね。

 

第一次政権が終わって、お見舞いに行った時に仰っていたのは、他派閥の要請なんか聞かずに自分の好きなようにした方が良かった、今回の件で本当の敵と本当の味方がよくわかったよと。地獄を見るような日々だったでしょうから、そうだったんだろうなと。その後の政治家の言動も見てて思うところは沢山あったんだろうと思います。

 

安倍さんのやろうとした事は普遍的でこれからも日本の為になる事だと思います。教育を改革し再チャレンジ出来る社会を作って女性も輝ける社会を作ろうと。経済を良くして雇用を増やして世界に影響力を持って安全保障では自立の度合いを深めてやってくと。何も間違ってない。

 

不幸にもモリカケ桜のような言いがかりで随分と足をすくわれて政権の後半は大きな法案に取り組めなかった部分は多少ありますが、今後重要な地位に就かれる皆さん達に一言言いたいのは、左翼マスコミに流されちゃいけませんよという事。左翼マスコミのいう事を聞いて良い事ないです。或いは左派リベラルのいう事聞いて良い事ないんです。左派リベラルの人は自民党保守系議員が理解を示すと、拍手して先生、先生と持ち上げ相談に来ます。しかし、決して投票しません。

 

自民党が心配しなきゃならないのは、無党派の保守層が離れていく事だと思うんですね。先の衆院選ではここにいらしている高市先生のお陰もあって無党派の保守層がかなり票を入れてくれた。予想外の勝利を得られた。しかし去年の参院選では無党派の保守層は参政党その他に取られて比例票が減る事が起きました。これは気をつけないといけない。岸田内閣の支持率30%は何も問題ないと思っています。3割あったら全然問題ない。だけど世論調査に現れないような形で自民もう駄目だねと言い出したら、本当に危険な事が起きると思います。安倍さんはそういう事は意識してやっていましたよね。発信する時にもタイミングを考えて計算していました。自民党にとって代わる政党はないから、自民党は安心しているのではなくて他にないからこそしっかりしなくてはいけないと私は思っています。もう山口で安倍事務所も閉まって安倍家はとりあえずなくなりました。これは本当に寂しい話ですが、日本には津々浦々に有能な有望な方々が沢山いるという事でそれを信じています。やはり国民に自民党はこんなに色んな人がいるのかと見せるような政治をして欲しいと思っています。今は野党があまりにもバカ過ぎて助けてもらってるだけですからね。野党の体たらくに甘えないでやって欲しい。

 

政権を失った後、谷垣総裁は保守色を強めました。その結果もあって大勝したという事を忘れてはならないという事。自民党の中には直ぐ左側にウイングを伸ばしたがる人がいます。左にウイングを伸ばしたってそこに票はないんです。一部の人におだてられてそれで終わり。それは口酸っぱくして言わないといけないと。

 

今まで日本は敗戦国として敗戦国の枠組みとして戦後閉じ込められてきましたが、安倍さんによる米英欧との和解と今回のウクライナ戦争でもその時代は終わったんだと思っています。日本が極東の大国として普通に自国の利益を追求し、世界の為に役立つ国になると、これ自体が安倍路線なんですが、それを皆さんにお願いして話を終えたいと思います。

 

最後に有村治子議員の質問がありそれに答えて下さっています。是非、ご覧下さい。

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