下記の記事を転載させて頂きます。<(_ _)>

 

昭和60年(1985年)の日航ジャンボ機事故について、当時に国産のOSとして注目されていた「TRON」の技術者の死などから検証する。

 

この投稿は2018年8月14日である。この時期に思い出す事故を取り上げたい。当時大ニュースになった「日航ジャンボ機」の墜落(1985/8/12)から33年経った。
今では知っている人も少なくなってきたが、昭和60年(1985年)の8月12日の夜に群馬県に飛行機が墜落した。死者520名というそれ以後現在までで見ても最悪の飛行機事故であった。その飛行機事故について疑惑があることをご存じだろうか?「陰謀説」と言ってしまえばそれで終わりだが、どうも単なる事故ではない側面が見えてくる。まとめてみたので、是非ご覧いただきたい。

 

1.昭和60年(1985年)の日航ジャンボ機事故

 

 

今に疑われる論点

①  墜落から救出開始まで16時間という、異常に長い時間がかかっている。しかし、その発見の前から自衛隊のヘリコプターが来ていたという目撃情報と、ヘリコプターの音を聞いたという数少ない生存者の記憶が合致する。
②  事故直前の写真や目撃情報などから、衝突物があったとの見方がある。ボイスレコーダーの内容が出ているが、明らかに2度の爆発音があってから異変が起きている。
  事故発生後に日航機を自衛隊機(ファントム機)が2機追従していることが目撃されている。
  自衛隊で事故に関わった人の自殺者が相次いだ

 

 

第一に①について、確かに、まったくおかしい動きがあったとしか思えない。飛行機は常に管制塔と連絡を取っており、また、いくらGPS等が発達していない当時であっても、飛行機のレーダーの性能は相当なものであった。でなければ、まともな離発着ができない。にもかかわらず、どこに落ちたか、ということで、マスコミ各社も大混乱をしている。これは私もなんとなく覚えている。ニュースにかじりついてみていたが、どこに落ちたかが全然はっきりしなかった。

しかも現場は山奥とは言え、人が全く住んでいないわけではない。現場近くでの目撃情報等はかなりあったはずである。それらを総合すれば、いくら夜中といえど見つかるのに16時間もかかるのは不自然である
また、墜落現場近くで目撃情報を出した人達が、自分たちの情報とテレビの報道の違いに違和感を感じたという証言もある。また、墜落現場が判明し長野県や群馬県のレスキュー隊が現場に入ったとき(翌朝)、既に自衛隊の部隊がいたが、救助よりも航空機の残骸処理をしていたという。

3.見え隠れする自衛隊と米軍の動き

C130 輸送機
 

先に挙げた、②~④の件も、あくまで本やネットの情報であるが、証言情報として相当出ている。そしてそれらを総合すると、少なくとも自衛隊とそして米軍の陰が見え隠れする。

米軍の横田基地から出ていた輸送機のC130に乗っていた乗員による「アントヌッチ証言」によれば、米軍は日航ジャンボ機(JAL123機)の救助信号をいち早くキャッチし、救助の準備も出来る状態にあった。証言によれば墜落から2時間後には、現地につけたとある。
しかし、米軍の上官の指示は「引き返せ」ということであった。日本政府からその旨を受けたとのことである。この証言が出たのも、事故から10年もしてからである。

更に、自衛隊は先に着いていたという証言も多々出ている。下記の証言がそれらである。

 

現場にまつわる証言

13日午前4時、公式発表ではまだ発見されていないはずの墜落現場に自衛隊員が既に100名程度は来ていた
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた。
・ 4~50名の生存者の声が聞こえた。
・ 1時間後には生存者の声が全く聞こえなくなった。
・  遺体を検体した医者は、遺体の焼け方が飛行機事故だけとは思えず、もう一度別の形での燃焼があった、と結論づけている。

 

これらを総合すると、にわかには信じがたく恐ろしい話だが、自衛隊が先に入って証拠の隠滅を図り、生存者も含めて焼き払った、という推論が導き出されてしまう。
もちろん、そんな事があったとは自衛隊の性質上考えられない。しかし、自衛隊からの情報で右往左往したマスコミ、発見が異常に遅れたという事実などを見ると、謎がはまってしまう。さすがにこれは無いと思うが、しかし、自衛隊員の自殺がその後相次いだのは、事実のようである・・・。

更に、この事故の最も重要なボイスレコーダーは、全く公表されなかった。しかも、2001年に情報公開法の施行に備えて国土交通省が処分しようとしたようである。それに危機感を持った関係者がマスコミに出したのが現在YouTubeに出ているものである。それも、専門家に言わせると大分編集されているようだが、非常に臨場感があるものである。以下に添付するので、是非聞いてほしい。

 

日本の国産OS「TRON(トロン)」と日航ジャンボ機事故

ここまででの話でもかなり衝撃的と言える内容だが、更にあるのが、当時日本の国産のOSとして注目されていた「TRON(トロン)」の技術者がごっそり乗っていたのが、この日航ジャンボ機(JAL123便)であった。「TRONプロジェクト」と言われるプロジェクトを手がけていた天才エンジニアの17人が乗っており、全員亡くなった

「TRON(トロン)」とは、当時「Windows(ウィンドウズ)」と「Machintosh(マッキントッシュ)」が、少しずつ広がっている中で、純国産で作られていた日本版のOS(オペレーティングシステム)である。OSとは、今のWindowsと同様のソフトと考えればいい。これが、当時でWindowsの10年先を行くと言われていたものであった。
すなわち、今のWindowsの代わりに日本産のTRONがコンピュータを席巻するかも知れない状態、と考えてほしい。これをアメリカが脅威と思わないわけがない。アメリカでは、コンピュータのソフトに力を入れ始め、軍事から始まった「インターネット」の構想が大きく練られていた頃である。

 

 

TRONの親 坂村健氏
 

もちろん、こんなことが理由で飛行機を打ち落とすとは思えない。しかし、TRONがその価値に値するほどのものであったことは言える。国防上の大きな脅威であったことはアメリカは認識していたと思う。今の状況を見てもわかるように、「OS」とは、全てのコンピュータを制御する中核となる技術であるからである。その開発に「しのぎ」を削っていたアメリカがその重要性を知らないはずはなかった。

この事故が全てではないが、かくして「TRONプロジェクト」は大きく後退せざるを得なく、実際に世界のOSを握ったのは、Windowsのマイクロソフトであった。

しかも、この後の1989年にアメリカが強力に日本に貿易不均衡を主張し、いわゆる「スーパー301条」という強硬手段に出たときに、なぜかTRONがやり玉に挙がった。アメリカは、TRONを日本政府が応援するのは市場への介入である、という訳のわからないことを言ってきた。日本のOS市場が「TRON」に支配されることを恐れたのである。もちろん日本政府は、アメリカの言うとおりにして、かくしてTRONは衰退を余儀なくされた

なお、TRONの生みの親である「坂村健(さかむらけん)」氏は今も健在で、活躍されている。そして、国産のOSである「TRON」はちゃんと生きており、少しずつ広がっている。トヨタ自動車がそれを採用したことも言われ、確かな技術の芽はなんとか健在である。坂村氏は国産に大きなこだわりを持っており、しかも、無償で提供することに強いポリシーを持っている情熱家である。しっかり広がってほしいと思う。

 

当時の日米の状況

直接の関係はないが、当時の状況として是非触れておきたい事がある。

当時の日米の状況は、まさに歴史の転換点であった。今考えても、戦後最も重要な年の一つとも言える年だった。「プラザ合意」がなされたのが、この日航ジャンボ機の事故の1ヶ月後の1985年9月22日である。当時の竹下大蔵大臣がニューヨークのプラザホテルでアメリカなどと結んだ合意である。当時それだけ、アメリカと日本との貿易摩擦などの課題が大きくクローズアップされている頃であった。

プラザ合意と円レートの推移

プラザ合意と日航ジャンボ機事故とは関係はないだろうが、それだけ日米での確執が大きくなっていたきな臭い時期であったことの象徴と言える。
プラザ合意は、いろいろな内容があるが、実質的には米国の貿易赤字の対応のために、円高ドル安に持って行くというものであり、この後一気に円高となった。当時1ドル260円くらいから、一気に150円程度まで円高となり、経済は大きく混乱した。

この急激な経済環境の変化への対応に日本は苦慮し、結果的にバブル経済を生み出して、またその崩壊を招いた。その起点が「プラザ合意」であったといわれる。

 

日航ジャンボ機事故と、その後の状況から思うこと

 

こうしてみてみると、あまりに信じがたいことが多いが、全部を「陰謀論だ」と言い切ることも逆に難しい。色々な証言を見ても、事実が少なくともいくつか入っていると考えるべきであり、推測でしかないが、どうも裏に何かがあると考えた方が自然と思う。
かといえ、ここまでの事故を意図的に起こすというのはにわかに信じられないし、信じたくないところでもある。正直なところ、私もこの話に触れたときには、「信じられない」という固定観念によりあまり耳に入らなかった。

しかし、「TRON」の技術者の件を聞いたときには少し寒気がした。当時は、ビルゲイツが出始めた頃である。TRONの件は知らなかったが、コンピュータに興味があった私は当時のことは良く覚えている。そして今のコンピュータの発展は、ビルゲイツの「MS-DOS」「Windows」を大きな起点としてまったく様相を変え、「Windows」という「OS」が世の中を支配した。その創世記にライバルとなる「TRON」を潰すというのは、十分な動機となり得る、と思ってしまう・・・。

 

マスコミが信用できないことは明白であり、また世界の闇は意外に堂々と行われている。「9.11のアメリカ同時多発テロ」でも、飛行機が一つ消えている位である。歴史を学んでも、堂々と大胆な策略は行われていることがある。
決して、今回の記事にあるような内容のすべてを信じている訳ではないし、真相が出ることはないと思う。しかし、物事の見方として、こうした裏の側面があり得ることを否定できない、ということを覚えておきたい。

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☆画像はお借りしました。ありがとうございます。

 

 

下矢印私も間違いなくはっきり覚えています。