私の夏休み旅 の一部 :今のうちに入道雲
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北陸新幹線の上越妙高駅に差し掛かる手前の車窓から撮影をさせてもらったものです。
乗り換え電車が接続よくやって来くれました。
目的地は
直江津ぅ~。直江津ぅ~。
複数のレールがハの字に遠近的に狭まる奥地に凸している山ですね。
天下一の山城:春日山城。
上杉謙信に上杉景勝の無双の居城。
そして毘沙門堂。
川中島の武田信玄に襲い掛かる白頭巾の馬上の謙信。
『あれを見よ!お館様の春日山から白い煙がさかんに上がっておるわ』
『それは、釜の煙じゃ。飯炊きよ。と、すると明日から出陣のお触れあるろ?』
『今のうちにたらふく食わせて置くというお館様のいつもの手か』
良い旅ありがとうございました。(一部ですが)
【夏休み読書感想文】アンジュとズシオー
1960 · MASS OF THE FERMENTING DREGS
明治の文豪森鴎外がソフトに近代文学としてアレンジをしてしまった『山椒大夫(さんしょう・だゆう)』についてですが、これはどういう物語なのでしょうか。
説経節というお坊さん系による物語の言い伝えが中世末期から近世にかけてあったのだそうで、=戦国時代に該当しているそうです。
そこで近代文学『山椒大夫(さんしょう・だゆう)』以前にすでに物語化されていた『さんせう太夫』(戦国時代版)のを軽く読ませてもらいました。
要は奥羽五十六郡の太守で岩城判官正氏という大大名が居たのだそうです。
(物語なのでそんな伊達政宗よりも東北を平定していた主なんていないが)
時代考証はさて置くとして(平安期というらしいが)
ところがチクリにあって岩城正氏は筑紫(九州)に流されてしまいました。
それを母と女子(アンジュ)と男子(ズシオー)が父を追い求める旅を仕出すわけです。
ところが越後国の直江津の湊に到着すると
山岡太夫という悪人の手に一行は騙されてかかり
母は佐藤二郎(原文)の手にかかり佐渡島へ、
アンジュとズシオーは宮崎(原文)という人買いの手に掛かって丹後国由良の湊へ護送されてしまいました。
そこで一旦解説をしましょう。
物語上勝手に舞台を設定されてしまった丹後国由良という場所は
今の京都府の日本海側にある丹後半島の宮津という港町でして、江戸期には京極家が細川家に継いで城地をもらいました。
『山椒大夫(さんしょう・だゆう)』の『山椒』とは恐らく当て字のようでして原文では『さんせう』とひらがな読みをさせて「さんしょう」と発音していました。
「さんしょう」とは”散所”というそうで江戸時代だと逃散(土地を捨てて逃げる)という搾取された農民が逃げ出す意味だそうです。
”散所の大夫”:土地を捨てて逃げた農民を拉致して買い占めて扱っているブラックなオッサンという意味です。
もしくは丹後の国の由良・岡田・河守という具体的な三ヶ所(庄)を占めていた土地の悪いヤツという意味らしいですが。
・・・さて、物語に入ってみましょう。
山椒大夫のもとに売り飛ばされてしまった奥羽岩城家の姫君姉のアンジュは浜へ毎日潮汲みに3度も行かされ、嫡男で弟のズシオーは山へ芝刈りにやらされ、サボりが分かればお仕置きされ時間が余ればさらなる労働を要求され続けました。
潮汲みの桶に向かって毎日泣いていたアンジュは、ついに弟のズシオーに脱出を手助けしたのでした。
ところがそれを知った山椒大夫の息子がアンジュを掴まえて額に焼き印は入れるわ、しまいにはアンジュは身を投げて死んでしまったそうです。
ここからが戦国時代版では、ズシオーの立身出世劇と復讐が始まるのですが、
ズシオーは丹後国の国分寺の僧侶に保護されると、京の七条朱雀の権現堂に潜伏したのち、摂津国の天王寺で寄宿するうち梅津某の養子になって、朝廷に近づける出世に成功するや
父岩城正氏を陥れた当事者を訴えて、父岩城正氏は放免。
そして父の旧領はまるまる岩城家であるズシオーのもとに返って来たそうです。
ズシオーは朝廷に
『因縁ある越後・佐渡・丹後の領地もください』
と願い出るとそれも朝廷に即許されました。
そうするとズシオーは、かつて匿ってくれた丹後国の国分寺の僧侶に謝してから山椒大夫とその息子三郎を捕らえて鋸引きの刑に処しました(そうです)。
※・・・。鋸引きの刑って。生き埋めにして通行人に置いておいたノコギリで悪人の首を斬らす刑。
(・・・戦国時代当時の発想ですから)
そしてズシオーは生き別れた母と佐渡島でついに再会を果たすのです。
母は瞽女(ごぜ)といって目の見えない唄歌いの人になっていました。
「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」
『・・・母さん!』
ズシオーが駆けつけて抱き着くと母は嬉しさに奇跡的に瞬間目が見開いたという・・。
(感想文)
・・・・涙が出る話じゃないですか。
これがこれだけ舞台地に使われた丹後の国のことを物語を知って恨んだのが津軽藩とその民だったといわれています。
津軽藩ではわざわざ江戸幕府に対して
『我が国に江戸から使いを寄越される際には、絶対丹後の国の人間を入れないでください。うちには丹後の人間など一人もいません』
などと都度都度申し出る為、
(それ物語でしょ?しかも昔の。・・・そこまでしつこく毎年のように申し立てるのなら丹後の人物がいたら津軽藩領には絶対送りませんよ)
ついに幕府も幕末まで約束をし通したそうです。
そんな中、古川某という人物が
『津軽藩の領内の話とは全然関係ない場所のただの物語でしょ????』
とか反論をしました。
すると
『いや、そったらこたぁねぇ!岩木山の祟りもあってな。丹後のヤツをオラの国に入れると飢饉も起こるだ』
『・・・・。もしもし?? 飢饉がそれがもとで(実際に)起こったのですか?』
『起こるだ!』
『起こったの??』
『起こったのか、起こっていないのかハッキリしてくださいよ』
(・・・言い張るよなぁ。ガンコ者どもめ)
そこで津軽藩こそ何か隠しているのでは?という説が立ったそうです。
津軽藩こそ京・大阪・堺などからのキリシタン男女を受け入れて鉱山開発に働かせていたのでありました。
ところが肝心の津軽藩主津軽信牧(のぶひら)こそ隠れキリシタン大名で石田三成の三女を妻にしていた。
※(幕府からの余計な干渉で福島正則が監禁刑に処した後継ぎの妻で徳川家康の養女を津軽信牧に継室として与えて、石田三成の娘を格下げにされても、津軽信牧は石田三成の娘との男子を後継者にした)
幕府の隠密も入れない津軽では内情がどうであったかは私も夏の今後の研究課題(サボリあり)にしましょう。
蝦夷地にもキリシタンを逃がしていたという。
一方蝦夷地松前藩では
『うちは、日本として扱われていないらしいので(国内での)キリシタン禁教なんて処罰は見せかけで済ませてます』





























































































