ホーチミン市からいちばん近いメコン河は車で2時間ほど、十分日帰りできる距離だ。そのため、ホーチミン近郊観光のいちばん人気となっている。参加したツアーも日本語ガイドコース10名、英語ガイドコース30名ほどが大型観光バスに詰め込まれた。

 バスはメコン河の玄関口ミィトー市までほぼ快適な舗装道路をひた走るが、ところどころ大穴が空いているところもあり、バスは激しくバウンドする。車窓は長野の田んぼの中を走っているかと時々錯覚するほどよく似た、広い田園風景が続く。田んぼの中に送電線が走り、民家や工場や学校などが点在する風景もまったく同じだ。今更ながら同じ「米を食う民族」だということを再認識する。

 ミィトー市を流れるメコン河は近代的な長い橋を渡る。日本のODAで作られた橋だと言う。ここまで走ってきた国道の整備も皆日本のODAでおこなわれたそうで、日本語ガイド氏が冗談めかして言う「日本の皆さんたくさん働いて、税金をどんどん払ってください!」。

 長く高い橋の上からは広大な河の流れを一望する。河の真ん中を人が住む島(中州)が点在し、貨物船が行き来している。しかし、これは本流ではなく、カンボジアを過ぎてから幾筋もに分かれるうちの1本でしかない。ベトナムではメコン河は「メコン」とは呼ばないそう。どうりで、ホーチミン市で現地の若者に「メコン河へ行く」と言ったとき、「どこ?それ」と首を傾げられたわけだ。ベトナムではこの河は「クーロン(九竜)河」と呼ばれている。九つの頭を持つ竜のように何本にも分かれているから。中国からミャンマー・タイ・ラオス・カンボジアを経由して4500キロを流れてきた河は栄養たっぷりの土砂をこのデルタ地帯で落として、ベトナム中の人を食べさせてもなお余るコメや野菜や果物を作り出す。そのため、川の水は四六時中茶色く濁っている。

 河を渡るとバスを降り、林の中に入っていく。細い水路が縦横に流れ、民家が点在する林の中を歩く。頭上にはココヤシがみのる。水路にはところどころ網がかけられている。そこで小魚や川エビを捕るらしい。一軒の民家?の庭にある大きな東屋に通されると、お茶と果物を出された。数人の老人とアオザイの女性が現れると民族楽器の演奏が行われた。結構な演出(数曲のベトナム民謡の後「しあわせなら手を叩こう」と歌い始めたのは興ざめたが…)。

 その後、大きな水路に出て手漕ぎ舟に乗る。長野県松川町出身のジャーナリスト本多勝一氏のルポ「戦場の村」を思い出す。メコン河の川岸には舟が入れるいくつもの水路が平行に作られ、さらにその水路からも無数の細い水路が作られているという記述。解放戦線の支配地域に入った本多氏は、水路に入ってきた政府軍の戦闘ボートの機関銃乱射に会う。今はのどかなこのジャングルの水路も、40年前は戦場だったのだ。日本語ガイド氏に聞くと、このあたりもアメリカ軍南ベトナム政府軍が押えていたのは基地のあるミィトー市だけで対岸のここら辺は解放戦線が出没していたという。たぶん、このジャングルでも人々は無差別な砲撃やヘリコプターからの銃撃、河からの攻撃で家や田畑を焼かれ、家族を殺され、憎悪から解放戦線ゲリラに走っていった者も多いのだろう。「憎悪の再生産」がここでも行われたわけだ。本多勝一氏は「戦場の村」でアメリカ軍の戦車が刈入れ間近の田んぼに乗り入れて稲をなぎ倒して走り回る様子、また、解放戦線ゲリラの食料とならないようにと、農民のわずかな米の蓄えを地面にぶちまけ、ささやかな宝物であった青磁の壺を割り、家に火をつけるアメリカ兵の様子を描き、そんな異文化への無理解ぶりから「アメリカの負け」を予言した。

 ココナッツキャンディー工場(工場というより民家の庭でココナッツ液を薪で煮て、出来たキャンディーの棒を包丁で切り、子供を含む家族総出で紙に包むほぼ家内制手工業!?父さん、じいちゃんは働かずにハンモックでぷらぷら)を見学し、エンジン付きボートでメコン河に出た一行は、映画「地獄の黙示録」さながらに?ココヤシが高く茂る川岸を見ながら、河の真ん中の島に渡る。

 やはり小さな水路沿いを歩き、緑に囲まれた東屋で食事をとる。エレファントイヤーフィッシュという象の耳の形に似た川魚の姿揚げを、小さくむしり取って春巻に包んで食べる。足元では犬が数匹歩き回り、川魚のおこぼれを待っている。犬が食べ残した骨は、次にニワトリ達がやってきて平らげる。ベトナム人はけっこう食べ物を残すという。食べ物は潤沢にあるうえ、残しても動物たちが平らげてくれるくれるからだろう。観光客相手の商売をしているからだろうか、母屋と思われる家はコンクリート造りで大きい。衛星放送のアンテナも見える。

 食事を終えた一行はまたエンジンボートに乗り、対岸のミィトーの街へ向かう。茶色い川の水に、ココヤシの葉やその他の緑がぷかぷか流れている。いつしか着床して、その土地で繁殖するのであろうか。それまでは川魚たちの巣となるのであろうか。一見汚いこの茶色い川は、とても豊かな恵みの河だった。

 対岸のミィトーの街の船着き場は、コンクリート造りの立派な待合所兼土産物屋を持つ。観光バスが並ぶロータリーも広く、周辺は5階建てくらいのホテルが並ぶ。日本語ガイドによるとミィトー市は人口10万。地方都市にしては豪華な民家が多いという。そして、その豪邸は皆、ベトナム戦争後に難民として海外に出た人が、金をためて帰ってきて作ったそうである。戦後40年の月日は歴史の禍根を洗い流し、難民もアメリカも誰でもお金を持ってくるものはウエルカムの時代を作っているようだ。