こちらは、「OPERA DOMAINE」。
格式ある建物を活かしてブライダルをやっているようです。
明治45年築で、見てわかる通り、辰金スタイル(笑)、辰野金吾氏設計。
元々は、大阪教育生命保険会社の社屋として建てられたものだそうです。

 

 

そのお隣にあるのが、日本基督教団浪花教会。

前日、船場ビルヂングでお話ししたおじちゃんが、ここをお勧めしてくれたので、

「へ~、そんな素敵な教会なんですね」って聞いたら、「ん~、ボロい教会・・・」

あはははは!別に私はボロい建物を探してた訳じゃないんですが、こうして

見ると、頷けないこともない(笑)。

 

こちらは、明治10年に設立されたもの。
ヴォーリーズの設計指導(?!)によるものだそうです。

中を見学できませんでしたが、中は、ヴォーリーズ設計で、建て替え中の大丸

心斎橋店1階のエレベーターホールに似ているそうです。

 

 

てくてく歩いていて、「おお!これは蔵かな?」と思ったら、その奥に、もっと、

「なんだ?なんだ?」な建物が。。。日本圧着端子製造株式会社の本社です。

 

 

2013年築という新しい建物ですが、クマケンさん(隈研吾さん)かと、勝手に

誤解した外観でした。(実際は、 アトリエ キシシタ マンゴー デザイン・アンド・

アーキテクト 設計)

イケフェスでは、中のガイドツアーが開かれていたようです。

 

 

 

こちらは、芝川ビル。

芝川家は、唐物貿易を営んだ豪商として知られ、江戸時代から、ここに屋敷を

構えていたそうです。
関東大震災の惨状を知り、火事・地震に強い建物はないかと考えていた時に、

片岡安氏の講演で、鉄筋コンクリート造を知り、渋谷五郎氏に依頼したんだとか。

基本計画、構造設計は、渋谷氏、意匠デザインは本間乙彦氏。

ライトの影響を受けたと言われたこともあったそうですが、当時、米国で主流だった

スパニッシュ・コロニアル・リヴァイヴァルに近いのだそうです。

 

壁面には、こんな装飾も。
オーナーだった、芝川又四郎氏の手記には、「私の趣味」とあるそうですが、本に

よっては、アステカ文明のモチーフでは?と紹介されていたりします。

戦争期まで、ここは、「芝蘭社(しらんしゃ)家政学園」という、女子短期大学の

はしりとして、女学生が集った時代もあったそうです。
近年は、建て替え前提の貸事務所になっていたそうですが、近代建築をめぐる人々

との出会いから、大事に保存しようという方針に転換し、事務所から、テナントを

店舗に入れ替え、今のように人が人を呼ぶ人気の物件になっていたのだそうです。

 

イケフェスでも4階をイケフェスカフェとして公開されていた様子。
戻って、中を見学する時間がなくて残念でした。

 

 

大阪ガスビルがちらりと見えます。

昭和8年に建てられた当初は、ガスのことを知ってもらうためのショールームとしての

役割を持っていたそうです。
設計は、安井武雄氏。大阪倶楽部や、高麗橋野村ビルも手掛けた人です。

日本橋野村ビルも安井氏の設計)


戦時中は、迷彩色で黒く塗られていたり、戦後は接収され、ホテルに転用されていた

時代もあったとか。
知らなければ、普通のオフィスビルとして見逃されてしまいそうな外観ですが、こうして、

今も使い続けられている大事な近代建築の1つです。

イケフェス中は、日曜日に、通常は一般の人が立ち入れない場所を回るガイドツアー

が開かれていた様子。日曜までいなかったので、参加できてません。しくしく。。。

続きます。