特集総リードで北条時宗を賛するに「甕の如き胆」と言う表現が出てきました。
注釈が何もなしに漢籍由来の表現を出されるのは唐突で、衒学の虚仮脅しのような違和感あり、関連した感想です。

「甕の如き胆」の出典は頼山陽『日本楽府』1828(文政11年)の「蒙古来」での北条時宗への賛辞。
原文/書下文は以下参照。

 


しかし、そもそも「甕の如き胆」は、『三国志』蜀志姜維伝にある「胆斗の如し」が甕に例える形で、頼山陽が派生した表現としたのか、私の推測ではあります。(違ってたらすいません)

 


姜維は、中国三国時代の蜀漢の武将で、諸葛孔明の後継者として九度の北伐を行った人物です。涼州天水郡の出身で、字は伯約。西暦264年に姜維は鍾会をそそのかして蜀の復興を図るも、成都で兵士の反乱に巻き込まれ殺害され、敵側の魏の兵に死後解剖されて臓器を引き出されてしまいました。ここで「胆は一斗の升のようだった  と記されており、これが「胆斗の如し(キモが一斗升のようだ)」のもとです。

この「腹を裂く」というのがポイントで、この姜維に限らず、非常に中国古典での特有の残虐性を感じますが、実際、古代中国では普通に出てきす。

ちなみに致知の総リード子は『三国志』がお好きなようですが、私が「人を喰っている」のとはワケが違い、飢餓でのホンモノの人肉が出てきます。

曹操の魏の食人(魏書武帝紀)では曹操が徐州を攻めた際、戦乱と略奪で飢饉が発生し、「人相食む(人が人を食う)」
劉備の蜀の側の食人(蜀書先主伝)劉備が曹操に追われて逃亡した際、飢饉が起こり、「道に死人満ち、人相食む」

さらに『水滸伝』でも、強盗が人肉で宴会をしたとか、憎む相手に対して「食ってやるぞ!」と罵り、恨みで人肉を食った等、また豪傑武松が人肉饅頭を売る店を潰す話が出てきます。こうした話は中国史でもバンバン出てきてきりが無いですが、前近代に限りません。

わずか60年前の文化大革命における広西大虐殺(1967-1968)でも大規模に「食人」事件がありました。

 


鄭義/黄文雄訳『食人宴席』カッパブックス1993年によれば、特に上林県龍祥大隊事件というがあり、「龍祥大隊事件は被害者がまだ生きているのにナイフで肝を取り出し、しかも、肝を取り間違って、肺を取り出したので、もう一度、肝を取り出しに行ったところ、被害者はまだ絶命していないで、目玉がぎょろりと動いていた」そうです。
また、インタビュアーが「過去に喰った人の肝臓はかまどで焼いた方がおいしいですか あるいは煮た方がおいしいですか?」
と問うたところ、「もちろん焼いた方がおいしいし、香ばしい。しかし、生臭い事もある」との回答もあります。

古典や歴史にとどまらない。

ちなみに日本発ではあるが、漫画・アニメ「キン肉マン」ではドイツのブロッケンマンと中国のラーメンマンとの「デスマッチ」でキャメルクラッチの末に(現在の地上波では到底放映できないので以下自粛。詳細動画参照)

 

https://www.youtube.com/watch?v=yy5IffOzoVM

これも、こうした、かの国の一側面を漫画アニメによって可視化したものと言えましょう。

一方で、わが国の史書には、食人の記録はほぼ存在しません、残虐な逸話も中国基準で言えば極めて少ないと思います。

また、内臓を用いた比喩表現は、日本語では漢籍由来のものが多数で、「やまとことば」では腹黒や腹が立つ、など腹に偏っています。
これは肉食を禁忌としてきて内臓に触れる機会が乏しく、多様な内臓比喩は中国の肉食文化と五臓思想の影響によるものが大きいのでは、と私は推測しています。

こういう文化背景の異国の表現を、わが国の救国の英雄北条時宗への賛辞表現として使うことには、私には非常に抵抗感があります。まさに「腑に落ち」ません。北条時宗への漢詩での賛辞表現も、私にはどこか上滑りした借り物感があります。

なお、焼肉パーティでは、「甕の如き胆」は残虐過ぎるので話題にしないように心がけ、レバーは生食いせず、しっかり焼いて食べたいと思います。
またこれも、まさに「キモい話」と言うところでしょうか。


お食事中に読まれた方には大変失礼しました。ただし、「切腹」して詫びるつもりはないけどね。