その中心には穴があいていました。
何人かいます。
そのひとたちはそれぞれのやりかたでその穴をみつめています。
だれかは走り出すかもしれません。もうひとつ穴をつくるひともいます。
穴をふさぐひともいればずっとみつめつづけるひともいるかもしれません。
ある人は忘れ、取り換え、塗り替え、夢をみてその穴がほんとうにあった ことなのかを疑うかもしれません。
だれもがその穴に対する “たったひとつの冴えたやりかた”を探しています。
その光景は遠くから眺めたら、少し奇妙で、滑稽で、陰惨で、残酷で もしかしたら美しいかもしれないしとりかえしがつかないほど 醜いかもしれません。
まるで愛するあのひとのように?
橋口亮輔『ぐるりのこと』是枝裕和『歩いても 歩いても』 を昨晩つづけて観ました。
『ぐるりのこと』の木村多江とリリーフランキーの夫婦が紡ぐ 1993年からの10年間の物語の中心には生後間もなく 亡くなった娘がいます。
裁判所に行き法廷画家を職とするリリーのいる法廷の まえには宮崎勤や地下鉄サリン事件の実行犯、 大阪小学校児童殺傷の犯人などがたち、その被害者の遺族もいます。 だれかを損なうために穴を掘ったものたちと いやおうなしに穴をおしつけられてしまったもの。
これはほんとに映画というなのウソなのでしょうか?
木村多江はもしかしたら耐えきれずもうひとつ穴を掘ろうとするかもしれません。 彼女の母親の賠償美津子は去っていった夫という穴にたいして とても奇妙なやりかたで対処します。そのことを告白する彼女の 横顔はとても。
『ぐるりのこと』が10年間を140分にしたように、
『歩いても 歩いても』はある夏の一日を114分に切り取りつなぎあわせます。
もうすでに老いた樹木希林と原田芳雄夫妻の三人の兄弟姉妹の長男は 15年まえに亡くなり、
今日はその命日です。 次男である阿部寛は夏川結衣とその小学生の息子とともに何年ぶりかに帰ります。
夏川結衣は前夫と死別しています。長女のYOUも夫と子供たちをつれて この家にきています。
一見そっけなく貼ってある長男の部屋のポスターがJOY DIVISIONなのも偶然ではありません。
どちらの映画も死別したわが子という不在の穴をみつづけた人たちの物語です。
でもなぜ重苦しくなく、安っぽくなく、ちょっと涙目で笑えたりもするのでしょう?
それは冒頭にかいた穴をみつめるひとびとのように
彼らもまた少し滑稽で 残酷で容赦なく、たまに善きことをしですかすのにたちまち忘れてしまう
まるっきりこちら側のひとびとだからでしょう。
同じ主題 不在の穴をかかえてしまい残された人々のその後の物語
なだけでなくまったく同じ意味のものがふたつの映画にでてきます。
それは夜に出る蜘蛛であり迷い込んだ黄色い蝶です。
蝶と蜘蛛がでる場面から画面も物語も決定的に変化するのですが 。
結論はもちろん、この言葉の市場価値が底値なのもわかったうえで、
でもこれしか言葉を知らないので使いますが
両作とも傑作です。
不在の穴があり、その穴をかかえたまま残された人々のその後を 描き、
蜘蛛や蝶などになんらかの象徴的な意味をあたえて登場させれば その物語はすべて傑作になるのでしょうか?
そもそも傑作とはあまたあるなかから突出している数少ないすぐれたもの という意味ではなかったでしょうか?
そんな二律背反というか同義矛盾がありえるのかといえば もちろんありえます。さらにもうひとつあります。
2010年春公開予定の映画『ソラニン』です。 原作は浅野いにおのコミック『ソラニン』全2巻
この物語のなかで不在の中心としてあるのはバンドマンの 彼であり、
残され穴をかかえるのは彼女です。そして蝶や蜘蛛は ここではギターです。
映画では宮崎あおいがその彼女です。
そしておそらく今日あげた三作とも感動作というありものの擦り切れた言葉で
宣伝されそうですがそれだけではなく、
優れた表現者である 彼らが発している声はきっとひとつだけで、
それは中世の航海士が難破座礁した船から脱出するときのことば とまったくおなじもの
Any surviving things survive
生き延びられるものは生き延びろ
