独演会の最後に先日大腸がんでお亡くなりになられた柳家喜多八師匠との思い出噺を…
 
喜多八・志の輔二人会、前座は談春
落語停滞期の頃なので、会場の半分も埋まらなかったそうだ。
その頃から、お世話になっていたそうだ。
 
喜多八師匠は、小三治師匠のお弟子さんっていう事は、談志師匠と小三治師匠は、五代目小さん師匠の弟子にあたるので、従兄弟にあたる。
 
大腸がんの手術から5年間再発しなければ…と言っていた4年目に再発して先日お亡くなりになられた。
この4年間を巡って、三三師匠と談春師匠は約二時間話し合ったという…(三三師匠は小三治師匠のお弟子さんです)
 
「この4年間は意味のあるものだったのか?」と…
「けれど、その4年間があったのは喜多八師匠にとっては幸せだったと思う。
自分に与えられた命の長さを知る事で、目の前の事、一つ一つの高座を大切に取り組むことができたのだから…」
と談春師匠。
 
自分の命の長さを宣告され、あと何回落語ができるのだろう?あとと何回高座に上がれるのだろう?
限りある命だからこそ、今を精一杯生きなきゃならない。
限りあるものだからこそ、大切にしなくちゃならない。
でも、そんなことは分かっちゃいるけど…
時間というものが忘れさせてしまう。
 
明日起きたら、あの世へ行っていることだってある。
交通事故に合うかもしれない。
本当は明日生きているって保障なんてないのに…
人生のゴールが見えていないから適当に生きてしまう。
今を大切にできない。
 
親の死、兄弟の死、友達の死、恩師の死、知り合いの死…
死を目の当たりにして、人生を振り返る。
これからの人生、死を目の当たりにすることが増えてくる。
これが歳を重ねた証である。
 
悔いの残らない人生なんてないんだろう。
人生を全うして、この世を去る事は出来ないだろう。
 
人間は死というものと隣り合わせで生きている。
心の片隅に留めておくべきことを喜多八師匠から談春師匠を通して教えてもらったような気がする。
 
でも、そんな事を考えて全うにに生きよって思っても…
数日が経てば忘れちゃうんだろうな。
 
と、思ったので書き残してみる。
忘れないように…