(前回の続き)
でも、プラスの面で、発表会前後から少しずつ感じ始めて、最近ちょっと確信しつつあることがいくつかある。それは。。。
今までがむしゃらに色んな舞台を観てきたことが、なんだか実になっていると思った。
明らかに前の自分と今の自分じゃあ舞台や映画の見方が違ってきていることを感じる。
今までがむしゃらに世一先生の授業をうけてきたことが、なんだか実になっていると思った。
ジェームズ先生のWSを受けてきたのだが、今回はニュートラルマスクというマスクを使ったWSで、マスクをつけた私は堂々としてて偉大な感じのオーラが出ていると何度か言われた。
それっていうのはここ1年間ずっとそんな姿勢を先生に指導受けていたものが自然と出るようになっているということだと思う。
そして、また発表会の練習の時から気付きはじめそのWS中に確信したこと。が、2つある。
ひとつは「コツをつかむコツ」がなんとなく感覚でわかってきたということ。
やっぱり私は感覚人間だと思う。
今回のWSでは、「アバウトで説明が少ないから難しい」という人が多かったが、私はその真逆だった。決められてることが少なくある程度自由にやっていいからこそ、毎回毎回の気付きがあって自分なりに沢山のことを吸収出来た。
昔からそんな感じはあった。昔から、両親は本を読まないとちゃんと考えられないぞと沢山の本を買ってくれたが、兄は沢山読んでいたが私は本読むのが極度に遅くて(何でもトロいですね、はい。)読んで来なかった。なのに、本を読んできた人の成果とも言える、筋道立てて考えられること、読解が得意、な部分がいつの間にか私に備わっていた。
この成果を得るために逆に本を読め読めこーしろあーしろと方法を押し付けられてたら、多分実は成ることなく枯れていたんじゃないかと思う。
私に演技を勧めた占いの人も(またこの人の話ㅠㅠ)、「演技凄い出来る。出来るけど、アカデミーとか演技学校にいかせない方がいい。行かせなくても、そこで学んだ子たちよりずっと上手く出来る。」と言っていたが、それはこういうことなんじゃないかと思う。私はガチガチの方法でやるべきことで固められる場だと、閉所恐怖症の人が閉所に入る並みの窮屈な気持ちになる。それよりも、ある程度自由で、ヒントを教えてもらって自分でどんどん掴んでいく場の方が伸びる。
この感覚が発達したのは一重に、「要は、何だ」「要点は何だ」ということを常に考えるからだと思う。誰かが話をしていると、その人が一番言いたい事は何かを考える。授業を受けていると、教えてる人がこれを通して何を教わって欲しいと思っているかを考える。その感覚を(かみさまに)鍛えさせられてきたからこそ、割と他の分野において感覚的に吸収出来てきたんだと思うけど、演技に関してもその感覚が適用されてきたんだということを、今回でなんとなく実感した。
あともうひとつの気付き。
それは、「芝居の中で、心から誠実に生きることが出来ているその瞬間」、その瞬間は、唯一自分が生きてる中で心から楽しいと思える瞬間なんだ!ということ。
色々あって、私はもはや世の中のすべてのことは一時的で、はかないものだという思いが根底にある。それが根付いてしまっているせいで、心から心底楽しいと思えている瞬間が自分には本当にない。(表面的な楽しいの大小はあるが。)(絶対うそでしょ。あのときめっちゃ楽しそうだったじゃん。とは、よく言われるが。)
でも、芝居中に本当に真実に生きれたその瞬間は、本当に楽しいと思えるし素直に満たされる感を感じられている自分に気づいた。
もしかしたら私は、真実なこの世界では、一寸先が見えないからこそ色んなことに気を使い、安心して心を開放出来ないために、芝居しているように生きて人と接していていて、
偽りの芝居の世界では、先の展開が決まっているからこそ、余計な心は必要ないからひとつの心だけに集中出来て、誠実な気持ちで誠実な心で生きることが出来るんじゃないかなと思った。
いずれにせよこの気付きは、役者ほんうぉんじにとって、だけでなく、素のほんうぉんじにとっても、潤いのような宝のような気付き。ある種の生き甲斐を発見したような気持ちだ。
以上のことから、目の前の今のやるべきことは死ぬほど出来てないが、過去の努力が少し実ってきて、トータルするとプラマイちょいプラスで多少前進しているんじゃないかとていうことを感じました。
あとは。。。韓国語。。。。。
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