いつだったか、週末のドキュメンタリー番組で「南海キャンディーズのしずちゃん」を取り上げていた。
「しずちゃんが、何故ボクシングに打ち込むのか?」
ロンドン・オリンピックを目指し、練習に打ち込む姿は、まるで何かにとりつかれてるようだった。
僕はしずちゃんほどストイックに何かに打ち込んでいる訳ではないが、
「ストイック」さの向こうに、どこか同じ気持ちを感じた。
「しずちゃんは、自分を捜している。」
僕にはそう感じた。
そんなとき、しずちゃんが描いた絵本の話が流れた。
「すきすきどんどん」
僕は他人事とは思えず、とっさに絵本を買った。
自分が何者であるのか?
何がしたいのか?
何を期待されているのか?
そして、何ができるのか?
ひとりになってから、
ずっと感じていたモヤモヤがはっきりと見えた。
(TV放送で流れたところだけ取りました。)
いろんなことを好きになって、
とんでもない姿になってるのではないか。
そして、大きくなってしまった体を支えられるだけの力を持ててるのだろうか。
けったいな姿の自分を誰かが愛してくれるひがくるのだろうか。
ずっしり重い問いかけを残して僕は本を閉じる。
誰もが自分探しの旅の途中。
暗闇を迷いながら、壁づたいに這いつくばって歩いて行く。
その闇の深さは、まるでブラックホールのよう。
そして、その恐怖は味わったものにしかわからない。
しずちゃんが自分を見つけられる日がくることを願う。
しずちゃんが心から歓喜する日がくることを願う。
しずちゃん、がんばれ。
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