まず、「感謝」したいと思います!
この映画を、70年代の終わりに10代で観られたことに・・・自分がこの映画を初めて観たのは19才の暑い夏でした。最初に公開されて12年もあとのことで、相変わらずの東京下町の名画座でした
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ビートルズ、フォーク、ヒッピー・・・いろんな鬱積を抱えつつも、確実に新しい波を感じ始めていた70年代に、その時代に青春を生きてきた者のみが、多分この映画を「観た」ことになるからです。そういう意味では、今の世代の人はこの映画を「観た」ことにならないのが残念です!
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ただ、少しでもこの映画の意気込みなり息吹を感じていただけたらと思います
「卒業」
「アメリカン・ニューシネマ」
映画ファンなら、この言葉は何度も聞いたことがあるでしょうが、この映画を語るには、この時代背景を最低限に知っておく必要があります。それを知らなければ、ただ、ラストシーンがすごいギャング映画で終わってしまいます
この映画は、アメリカン・ニューシネマの記念すべき第1作目と言われています!
アメリカン・ニューシネマ自体はっきりとした定義はなく、いつから始まり、どこで終わったという明確な答えはありませんので、ここでは個人的に解釈した一般論として理解していただきたいと思います。
アメリカン・ニューシネマは、過去の既成概念を取り払い全く違う視点で作られた映画で、反体制、反ハリウッド、アンチヒーローが特徴で正義が悪を倒す主人公像とは全く違う視点で捉えられています
1960年代はケネディ大統領の暗殺、ベトナム戦争などから国民の権力側への信用失落から、ウーマンリブ、反戦、フリーセックスなど新しい意識が芽生え、今までのハリウッド映画では満足できない新しい価値観が生まれ、その頃作られた新しい表現、主張の映画がアメリカン・ニューシネマです!
ハリウッドの言う「アメリカン・ニューシネマ」とは解釈が違うようですが、そのあたりはよくわかりませんねえ(笑)
代表作の一例を挙げると
「イージー・ライダー」(69年)
「卒業」(67年)
「明日に向って撃て」(69年)
「ワイルド・バンチ」(68年)
「真夜中のカーボーイ」69年)
などなど・・・まだまだたくさんあります。「タクシー・ドライバー」や「フレンチ・コネクション」も入るという人も多いですが、それは乱暴な気がしますがねえ・・・もちろん大好きな映画には違いありません
ただ、アメリカン・ニューシネマの終焉は、スピルバーグの「ジョーズ」であり、スタローンの「ロッキー」あたりだと思いますよ!
映画評論家の町山さんもおっしゃってますが、この映画の背景には、1966年に撤廃された「ヘイズコード」があります。「ヘイズコード」は、当時アメリカであった厳しい映画製作倫理コードでのことで、新し過ぎず、過激過ぎず、下劣過ぎない、たとえば血しぶきが飛んだり、過激なSEXシーンその他さまざまな規定が厳しくありました。こういう制約がなくなり、あらゆるタブーを破った革命的な映画がこの「俺たちに明日はない」です!
今、観ている映画のスタートがこの映画と言っても過言ではありません!ある意味、社会に対して宣戦布告した映画です!
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「ボニー&クライド/俺たちに明日はない」
1967年(アメリカ)
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世界恐慌の真っ只中、1930年代に実在した二人組の銀行強盗「ボニーとクライド」の無軌道で壮絶な生き様を描いた、アメリカン・ニューシネマの先駆け的な映画
監督は「小さな巨人」「ミズリー・ブレイク」など異色作が多いアーサー・ペン
主演はウォーレン・ビューティとフェイ・ダナウェイ
ウォーレン・ビューティは61年に「草原の輝き」で衝撃のデビューし「シャンプー」「天国から来たチャンピオン」などに主演しています。あのシャーリー・マクレーンの弟でもあります。フェイ・ダナウェイは以前紹介した「チャイナタウン」のほか「ネットワーク」「華麗なる賭け」・・もうキリなくありますねえ~コロンボシリーズ「恋に落ちたコロンボ」にも出ています。共演にはマイケル・J・ポラードやジーン・ハックマンという個性派が顔を揃えています
愛すべき悪党の生きざま!
男女のせつない愛の物語でもあります
この映画の紹介をするにあたり、少し迷ったのが「ジャンル」分けで、「ギャング映画」でもあり「恋愛映画」でもあり「犯罪映画」でもあり「ドラマ」でもあり・・・今回は独断と偏見で、あえて「青春映画」としました! ただ、ジャンルなどさして問題ではありませんが・・
バンジョーのBGMがいいですねえ~
緊張感あふれるストーリーで全く退屈しないし、スピード感があり先が読めない展開、さらに途中で仲間も加わり、犯罪がエスカレートしていきます
このまま逃げ切れるのか?
捕まるのか?
最初は面白がって始めた銀行強盗を繰り返すうちに、だんだん事の大きさを自覚しはじめ、とりかえしがつかなくなっていきます。「もう、逃げ切れないのかしら」まさしく、明日がないことを実感するセリフは絶望感にあふれてます
そして、衝撃のラスト!
よく、同時代の映画でラストシーンで有名な映画として比較されるのが「明日に向って撃て」ですが、常に明日を夢見ていた二人と、明日を夢見ることさえ許されなかった二人の違いでしょうか?
同じ「明日」という言葉が哀しくひびきます