チベット人の仏師が作った日本唯一のチベット式の仏像がある、という話を中国政府によるチベット人への人権弾圧に対して支援を行っている探検仲間から聞いたので、以前長野県長野市にある西方寺へ行ってきた。西方寺は善光寺の門前にある寺院の一つで、善光寺が火災にあった時にご本尊が避難されてきたりと、ゆかりが非常に深い関連寺院の一つだ。明治4年には、お寺が長野県庁の仮庁舎になっていたこともあった。

なおチベットでどのような人権弾圧が行われているかは、日本国内のマスメディアはまず報道せず、日ごろ騒がしい多くの人権活動家も完全に沈黙するが、「チベット 人権」などで検索すればいくらでもページや動画、書籍が出てくるので、知らない方はご自身で調べてほしい。



わかりやすい駐車場の看板。


分かりやすい見どころ。


西方寺の門前。チベットから亡命されたダライラマ法王と仏像の看板がお出迎え。



善光寺を守るという伝説がある、赤地蔵。



西方寺の本堂。


その本堂の左側に新しいお堂があり、そこがチベット式阿弥陀仏のおわすところ。御坊様に声をかけてあげていただき、写真を撮り、お話も聞かせていただいた。



「阿弥陀佛説法像」というのが仏像の正式名称。
チベット人仏師のケサン・ロドェ師が来日されて、塑像(そぞう)という粘土に紙や布などの繊維を入れて作った仏像。奈良時代などにはよく作られ、高校日本史の教科書なんかにも出てくるが、火事などの時に重いため移動ができず、日本では木造の仏像が主流となり、いつしか塑像の文化は消えてしまった。
その失われた塑像を、日本で復活させよう、ということでこの仏様が作られた。
開眼法要は、チベットのダライラマ14世法王が直々に来日されて行った。


開眼法要の模様。当日の模様については、西方寺のホームページに詳しく載っている。
「平和活動もいいが自らの心の武装解除こそ必要、これからの若い人に期待します」と法話で語られたそうだ。


お布施とは別に、チベット難民への義捐金も支払わせていただいた。


壁画の菩薩もチベット式。


頭上には曼荼羅(マンダラ)



チベットと西方寺との御縁は今も深く続いているようだ。
西方寺の詳細については、ホームページに詳しいので興味のある方はご覧いただければと思う。