いろいろあって休んでいましたが、途中だったので再開します。
さて、2013年の12月3日にフェンスの外側から立川基地跡の解体風景を撮影しにいった際の後編です。
立川基地陸軍航空工廠エリア(昭島地区分)は西側を走る外周道路を北西から真北、さらに残堀川沿いにそって南へと下ります。


積まれていたコンクリートの山。こんな感じで存在した施設は消え去るか、瓦礫の山になってしまっていた。コンクリートも細かく砕かれ、最後は建築用の砕石として再利用される(鉄筋はリサイクルに)。ここで使われるかは解らないが。



さらに北へ進むとプレハブの二階建て建築事務所。自販機もトイレも完備。一棟しかないから、飯場ではなさそうだ。実は木製の枕木が山のように積まれている。ここを走っていた、陸軍航空工廠専用線の枕木だ。レールは確認できなかったので、別のところに積まれていた鉄材置き場の方にあったのだろう。この専用線は一部が現存しているので、のちほどまた記載する。


一番北側の工事フェンス沿い。赤いビニールひもが巻かれている木は伐採される運命なので、この木(主に桜)もそうなのだろう。春に最後の花を咲かせることができるか?



板状フェンスを北側から撮影。ここから北側は草や木などでまだジャングル状態だ。スズメの群れがススキのやぶを出入りしていた。



この光景は外周道路に沿って、北側から撮影。ここだけは以前と同じ光景。背丈よりも高い一面のススキの藪だ。



さらに残堀川近くになると、ようやく現存する遺構が見え始めた。木々の伐採が進んだ結果、今まで確認できなかった初発見の遺構を数多く確認することができた。



たとえばこの小規模な変電所。これは望遠レンズで撮影。


変電所を取り囲むフェンスにある看板には「G8 A-14」と書いてあった。施設番号だろう。



コンクリ製の土管の基礎(?)と、変電所。こんなのが存在していたなんて全然気づかなかった。



土管を拡大。コンクリの基礎っぽいものも見える。



さらに、陸軍航空工廠専用線(中神空軍側線)の線路と、手動転轍機(ポイント)も現存することを確認することができた。中央を水平に走っているのが線路で、土管の上にあるのが転轍機。


今度は基地跡を残堀川沿いの東側にそって歩く。


でてきたのは、陸軍航空工廠専用線の線路が途切れている場所。昔の地図では、残堀川が現在の流路とは違い現在よりも東側を通っていたため、この線路ももう少しだけ続いていた。工事をするにあたって、レールを切断したのだろう。



もう一枚、レールの終わり地点。手前と奥にも線路があったことが分かる。ここは燃料貨物ヤードだったために、複線になっていた。



線路沿いにあったフェンス。40年近く放置されていたので、金網も鉄条網もさびさびだが、このフェンスも解体されリサイクルされて、再び鉄として世の中に出回るのだ。鉄という物体の人生(?)としては、その方が朽ちるよりもいいのかもしれない。


このあたりは行き止まりのあたり。フェンス沿いにコンクリートの台座が残っていた。元々は何かがあったのかもしれない。



かつて基地を縦横、東西南北に走っていた道の跡。その先には、青いパワーショベルが見えていた。こんな光景もあとわずか。



そんなこんなで、徒歩でいろいろ撮影していたら、あっという間に二時間が経過していた。もう夕方。さらば立川基地。と思ったら、もう少し探索をすることができたので、それもおいおい掲載する(予定)。