潰瘍性大腸炎になって10年経ちました その3 | たまに書きます

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基本的に無益な情報を。12年に渡る中国の黒龍江省暮らし(うち3年ちょい北京)に終止符をうち帰国、次の一歩(台湾方面)に踏み込もうとするタイミングでコロナ蔓延、鎖国により足止め。困り中。どうにもならん。

罹患した当時の思い出シリーズも第三弾です。

 

当初いわれていた赤痢の隔離期間を過ぎても一向に良くなる気配がないどころか

ますます具合が悪くなってきて

(今考えるとその隔離病院では特に医者による診察ってなかったような・・・。

点滴、投薬、血液検査、注射の類は看護婦さんたちががやってくれましたが

医者の先生とどうこう話をした記憶が、そういえば、ない・・・・・)

 

こりゃおかしいぞ、という話になってきました。

なお、その話が出てくるころにはいい加減体力がなくなり(元凶は食事)

うまい事立ち上がれないほどになってしまっていました。

 

んで、ちょっとこれ症状的に赤痢じゃないっぽいんで、内視鏡入れてみようぜ

みたいな話になったのですが、内視鏡については隔離病院ではできないため

ある日そこからそう遠くない(車で5分程度)総合病院で内視鏡検査をしますよ、ということになりました。

今でこそ内視鏡の検査なんぞもう10回超えで経験してますので

どういうことをやらないとならないかというのは心得ているのですが

当然のことながらその時は生まれて初めてなわけですよ。

右も左もわからない内視鏡ビギナー。

しかも異国(笑)。

色々とアウェイです。笑うしかありません。笑う元気はなかったんですけどね。

内視鏡の準備ってひたすら下剤と大量の水を飲んで

無理やり腸の中をきれいにする、という準備があるんですが

(ここをクリアできればまあ後は終わったも同然です)

この時確かに飲んで出してをやったのですが、詳細覚えていないのです。

ただ、結果完全に体力が切れて、もう本当に立ち上がれなくなったということを覚えています。

 

で、その後近くの総合病院へ行って昼一番で内視鏡の検査を行ったわけです。

写真でも撮れたら面白かったんでしょうけど当然そういう余裕もなく

いわれるがままに診察台にのせられて、

まあ、その・・・・突っ込まれるわけです。

が、そういう感慨に浸るほどの余裕もなく(本当にしんどかった・・・・)。

 

そのあと何度も内視鏡の検査を受けることになるのですが

こんなに痛みを感じたのは後にも先にもこの一度だけでした。

その理由はもしかしたら炎症がひどかったからなのかもしれませんし

単純に医者の腕が悪かっただけかもしれませんが、

もうギャアギャア叫んでしまっていました。恥ずかしい。

 

基本的には診察台の上で左向きに寝っ転がって突っ込まれていたのですが

最後全部終わったよ、と言われて向き直ってふと右側を見たら

(要するに検査中は背中を向けていた方向を見たら)

なんと。

順番待ちの人たちに

じっと見つめられていました。

え?

なに?いたの?そこに?ずっと?

あらやだ恥ずかしい。叫んだの聞いてたの?

っていうか

お尻に突っ込まれる様をずっと見られてたの?

初めてだったのに!

 

と、いうわけで後ろの初めては衆人環視で失いました・・・・。

 

 

というか、酷くないですかね。

患者のプライバシーとか一個もねえの?

さすが中国。さすが黒龍江省。

このあたり日本人は太刀打ちできねぇ。

 

で、結果。

 

『あ、赤痢じゃないねこれ』

『潰瘍性大腸炎だよ。別に隔離される必要ないよ!よかったね』

 

・・・・よくねぇよ。

こちとら立てなくなるまで弱り切った上にお尻まで見られたんだぞ!

 

ということで,誤診が発覚したわけです。

 

とりあえず病名が確定したので少しホッとしましたが

そもそもネットの環境もないし,病名が確定したところで

さっぱりわかりません。(当然それが難病指定されているものだともその段階では知らない)

 

そんなことよりも、追い打ちをかけるように酷いことが・・・・・

 

続く