潰瘍性大腸炎になって10年経ちました その2 | たまに書きます

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基本的に無益な情報を。12年に渡る中国の黒龍江省暮らし(うち3年ちょい北京)に終止符をうち帰国、次の一歩(台湾方面)に踏み込もうとするタイミングでコロナ蔓延、鎖国により足止め。困り中。どうにもならん。

赤痢です。

 

って言われてもねぇ。

いや、聞いたことはありますよ。

でも赤痢ってなんでなるんだっけ?食中毒の大ボス?

っていうか風邪じゃないの(すでに血便を忘却)?

 

と、いまいちピンとこないわけです。

 

とは言いつつも診断は出てしまったので。

しかも隔離病院(伝染病用の専門病院)に入れられるそうな。

どっか遠いところ連れてかれんのかな?

こんなくそみたいな小さな街にそんな隔離する病院なんてあるのかな?

と様々なことが頭を駆け巡りましたが、とりあえずさっぱりわからないので

一度部屋に戻り、数泊分の用意をして、街はずれ

(っていってもそんなに遠いところじゃないです。小さな街なので)

にある○○市感染医院というところに連れていかれま連れて行ってもらいました。

思えばまだこのころはそこそこ元気だったんです。少なくとも明るい間は。

あれ?感染隔離病院っていうくらいだからもっとこう、阿鼻叫喚な感じなのかなあと思っていたのですが

わりと普通に奇麗でしたし、そこそこきれいでしたし。

2人か3人部屋だったのですが、一人で使用できましたし(お金払ってもらってたのかもしれませんけど)

 

何をとったかわかりませんが雰囲気だけでも感じていただけるかと。
点滴はそういえばひたすらされてましたね。

テレビはついていましたが,あんまり見なかったような。

そもそも中国のテレビは面白くなかったですしね・・・。

 

これ2010年の12月なのですが,一応スマートフォンは持っていました。

HTSのDESIREです。懐かしいなあ。

なんですが、まだネットにも暇つぶしになるようなものはあまりなかったような気もします。

このころからYOUTUBEなんかもできなかったんじゃないかなと思うのですが

全く覚えてません。まだVPNは使っていなかったような気がします。

要するに、ネット関連の暇つぶしはなかったのです。

ひたすら寝てたのかな・・・。

あまり何をやって過ごしていたかはわかりません。


 

こんな。

 

なお、基本的には『消化のいい物しか食べてちゃだめです』といわれ

おかゆと大根の漬物の食事が始まりました。毎食。

 

ここに隔離された当初は

『まあ4~5日おとなしくしてれば大丈夫だよ』

などと言われていたのですが

 

どうもよくなる感じがしない。

というか、どんどん悪化しているような気がするのです。

そして、人間毎食同じものを食べるとどうなるかというと、それを食べたくなくなるのです。

明らかに食欲が下がります。またかよ。

その次の段階になると,匂いを嗅ぐと吐き気がします。

食べなきゃだめだから無理やり食べようとしても食べられなくなります。

 

この症状になってからが本当にキツかったのですが

食欲がなくなり、食べなくなると当然栄養失調みたいなことになるんですね。

結果、

ベットから起き上がれなくなりました。

本当です。びっくりしました。

今よく考えるとこんな状況になったのは

潰瘍性大腸炎のせいでもなければ、ましてや赤痢のせいでもなくて

単なる栄養失調のせいでこんなになったのではないかと。

いろいろ薬も飲まされ、点滴もされ、注射もずぶずぶ打たれ

(注射の巧い下手は間違いなく存在する、とこの時身をもって体験しました)

 

まあとはいえ、血便も止まりませんし。

起き上がるのも大変だし。

食事は食べられないし。

いろいろ大変でした・・・・。

 

なお、この時は黒龍江省のロシア国境にほど近い某市にいたのですが

普段はくそ寒いだけで雪はさほど降らない街なのですが、

その年の今頃はそこそこ雪が降っていたんですよね。

このことも後から色々と、心配の種になります。

 

続く