市川章彦のブログ

市川章彦のブログ

唐沢の滝で縄文の胎内へ、不動滝で不動明王の慈愛へ。戸隠を舞台に魂を剥き出しにする禊。審判官を葬り、真実の自分という「岩戸」をひらいた市川章彦の記録。医療とエロを同一線上で捉え、偽りなき命の歓喜と日々の思いを全力で綴ります。

いま、お気に入りの千曲川のほとりに座っている。

目の前には、真っ直ぐに流れる力強い本流と、岸辺でゆっくりと渦を巻く淀み。

その両方が混ざり合いながら流れていく景色を眺めていたら、ふと昨日浮かび上がった「清濁併せ持つ」という言葉が、胸に落ちてきた。


以前の俺は、何かを手に入れた瞬間が喜びのピークで、そこから熱が冷めていくことが多かった。

でも、最近の俺は違う。

手に入れた時よりも、時間が経つほどに、だんだんと「好き」の温度が上がっていく。


この白いTシャツの左胸に留まっている、ヤマガラのピンバッジ。

先日、善光寺のびんずる市で、たまたま再会したじゅんこさんから買ったものだ。

見た瞬間に「可愛い!」と思って手に取ったけれど、今はあの時以上に、この子が愛おしくてたまらない。


よく見ると、ヤマガラの輪郭は金の糸で、細かく、細かくかがり縫いされている。

どれほどの手間と、どれほどの時間が、この小さな体に注がれたんだろう。

そこにあるのは、効率や打算じゃない。

作り手であるじゅんこさんの、溢れるような「愛」そのものだ。


今日、家を出る時。

縁側で吊るし雛を作っていた母親に、つい声をかけた。

「これ見てよ、いいでしょ。知り合いから買ったんだ」

今まで、自分で買ったものをわざわざ母親に見せるなんて、一度もしたことがなかった。


でも、今日は「つい」見せたくなった。

手仕事の喜びを知っている母親なら、このヤマガラの奥にある「愛」を分かってくれると思ったから。

「ヤマガラだね。いいじゃない」

その一言が、なんだか無性に嬉しかった。


今の俺は、誰かの顔色を窺う「いい子ちゃん」を卒業して、

腹が立つ奴には腹を立て、好きなものは全身で好きだと言える。

自分自身と結婚して「0」になったからこそ、

じゅんこさんの愛やお母さんの真心といった「本物」が、

以前よりもずっと鮮やかに、心に響いてくる。


世の中は今、とてつもない速度で変わり始めている。

組織や肩書きという鎧を着込んだ「偽物」が剥がれ落ち、

自分の「好き」を知っている者だけが光を放つ時代。


俺は、このヤマガラと一緒に、

自分だけの道を、千曲川の流れのように堂々と歩いていこうと思う。


ありがとう。





昨日の朝、母親の畑仕事を手伝おうと思って、「今日畑仕事なんか手伝うことある?」と聞いてみた。

すると返ってきたのは、「畑仕事の前に、家の裏の草刈り先にして」という言葉。


それを聞いた瞬間、俺の中で怒り💢が湧き上がった。

「あ”あ”っ」と眉間に皺を寄せて、愛車アクティに乗り込み、そのまま家を出た。


何故あんなに腹が立ったのか。

俺は草刈りが大嫌い。

以前ブドウを作っていた時は作業のために仕方なくやっていたけれど、今はもう作っていない。俺の中に草刈りをする理由がない。


母親は「草刈りをしていない畑を近所の人に見られるのはみっともない」という価値観を持っている。

その、俺にはない母親の「価値観」を押し付けられた気がして、無性に腹が立った。


でも、少し時間が経つと「まー、明日草刈りするか」という思いが湧いてきた。


そして今日の朝。

俺は、裏の草を刈った。母親の畑仕事も少し手伝った。


嫌いな作業で汗をかいたけど、部屋に戻って飲んだ生茶は、いつもの何倍も美味しく感じた。





子供の頃に聞いた「王様の耳はロバの耳」という物語。

当時はただの面白いお話だと思っていたけれど、今、その本当の深さが身に染みている。


理髪師が穴を掘って「王様の耳はロバの耳ー!」と叫んだ、あの切実な衝動。

隠し事を持つ苦しさと、それを解き放った瞬間の解放感。


俺にとって、それは「去年、オープンマイクの舞台で素っ裸で歌ったこと」だった。


振り返れば、2007年に初めてmixiを始めた頃、俺は人の目ばかりを気にしていた。

人の日記を読み漁るだけで、バッシングが怖くて、自分の本心なんて一行も書けなかった。

でも、「人の日記を読むだけで、自分は何も開示しないのは、人としてどうなんだ?」

そう自問自答してから、ほんの少しずつ、勇気を出して自分の信じることを書き始めてきた。


その19年にわたる「稽古」のトドメが、去年12月から始めた、自分の「内側」を徹底的に見る作業だっだ。


昨日、日記にすべてを書き切るまでは、「これだけは人には言えない」と、心の奥に固く鍵をかけていた裸の記憶。

でも、いざさらけ出してみたら、、、


「あぁ、俺、去年素っ裸で舞台で歌ったんだよね」


いま、そう笑って話せる自分がいることに、自分自身が一番驚いている。

年収1700万の部長時代、紙オムツを履いていた過去もそうだ。

当時は死んでも言えなかったことが、今では最高の笑い話になっている。


秘密がなくなると、人はこんなにも自由で、こんなにも「楽」になれるんだ。

隠さなきゃいけない「ダメな自分」なんて、最初からどこにもいなかった。


物語の中の理髪師のように、叫び終えた俺の心には、いま信州の爽やかな新緑の風が吹き抜けている。


生きるのが、また一段と楽になった。

ありがとう。





信州の豊かなエネルギー溢れる滝と、戸隠の厳かな杜。

日常の騒がしさから離れ、大自然の中で五感を開き、静かに自分自身を取り戻す時間を一緒に過ごしませんか。


◆ メニュー・期間・所要時間


• 米子不動尊「不動滝」での瀧行(5月上旬〜11月中旬)

• 所要時間: 約5〜6時間

• 場所について: 日本三体不動尊の一つ、米子不動尊本坊米子瀧山不動寺のご神体そのものである由緒ある滝です。厳かな不動明王の気配に包まれながら、日々の雑念を洗い流し、心をすっきりと調える時間となります。


• 菅平高原「唐沢の滝」での瀧行(5月上旬〜11月中旬)

• 所要時間: 約3〜4時間

• 場所について: 太古からの自然が色濃く残るエリア。美しい緑と清らかな水に包まれながら、自分自身の内側にある静かな強さを呼び覚ますような、優しくも力強い瀧行体験です。


• 戸隠神社 案内(通年)

• 所要時間:約6〜7時間

• 場所について: 神々の杜、戸隠の美しい杉並木を歩きながら、自然の息吹を身体いっぱいに吸い込み、自分の真ん中へと還っていくリトリートの旅です。


◆ 料金・定員

• 案内料:お一人様 20,000円

• 定員: 1日1名様〜最大3名様まで

(お一人でも、少人数でも、お一人おひとりと誠実に向き合うための定員です)

※長野駅集合からの移動時間を含みます。


【別途かかる費用】

• 不動滝での瀧行のみ:米子不動尊本坊米子瀧山不動寺への御礼として、別途1,000円〜が必要となります。

(御礼には決まった金額がありませんので、お気持ちでお願いします。)


◆ 準備・服装について

【瀧行】

• 服装: 男性は白いハチマキ・ふんどし・足袋、女性は白いハチマキ・滝衣・足袋が正装ですが、以下の軽装でも体験可能です。

• 男性: 白いハチマキ、海パン

• 女性: 白いハチマキ、水着の上にTシャツ・短パン

• 履物: 足場が非常に悪いため、足袋、または濡れても構わないしっかりした履物(スポーツサンダルやマリンシューズなど)をご用意ください。

• お着替え: 男性は屋外、女性には専用の着替え用テントをご用意します。


【戸隠神社】

• 標高約1,200m。奥社まで往復約4kmを歩きます。

• トレッキングシューズなど歩きやすい靴と、脱ぎ着しやすい薄手の上着をご用意ください。


◆ お申し込み方法

以下の項目をご記入の上、メールまたはお電話にてご連絡ください。


1. お名前


2. ご住所


3. 携帯電話番号


4. メールアドレス


5. 生年月日(安全なご案内のため)


6. ご希望のメニュー(瀧行 or 戸隠)


7. 参加希望日時(第三希望まで)

📩 Umin.ai7132@gmail.com

📞 080-1514-2794(市川章彦)

※山にいる間は電話に出られませんが、必ず誠実に対応させていただきます。







世の中には、パートナーを得る、お金を稼ぐ、あるいは自分を変えるための「方法」が溢れかえっている。だが、断言する。その「方法」で本当の成功を手にすることはない。なぜなら、その「方法」は誰か他人が作った正解であり、自分自身の正解ではないからだ。成功する唯一の道は「方法」を捨てることだ。本当の自分を生きること、ただそれだけだ。それこそが魅力と磁力を最大限に引き上げ、世界が自分を放っておけなくなる唯一の鍵なんだ。


「普通」や「常識」という名の、資本主義や支配、抑圧に満ちた世界。もしそこに「本当の幸せ」を感じられないのなら、居場所はそこじゃない。不平不満や違和感は、魂が「居場所が違うぞ」と叫んでいるアラートだ。植物が自分の体質に合った標高に根を下ろすように、自分にふさわしい「心の居場所」へと移動しなければならない。


以前、自分を支えた「今日やるべきことをやり切る」という営業時代の信念がある。当時は数字のために必死だったけど、今は違う。自分自身に、そして目の前の大切な存在に誠実であるために、今日という日をやり切るんだ。教育とは「教えて育てる」ことではない。「共に育つ(共育)」ことであり、大人が自ら「今日、行く(行動する)」背中を見せることだ。


過去の悲しみや未来の不安にエネルギーを使い果たし、今ここにある幸せを忘れた「不幸な大人」に教育され、無邪気さを奪われてきた。だが、自分の中の「0(ゼロ)」と一致した。檻の中に閉じ込められ、眠らされていた「無邪気な子供」を、自分自身が目覚めさせたんだ。


28年前の切ない別れも、2年前にシロツメクサの花飾りを載せて笑い合ったあの眩しい瞬間も。すべてが自分の一部として「心の居場所」に溶け合っている。自分を縛る執着や共依存の鎖は、誰も外してはくれない。自分自身の力で引き千切るしかないんだ。


自分は今、最高に幸せなひとりぼっちだ。自分自身と結婚し、魂の共同創造を楽しみながら、今日という瞬間に惚れている。さあ、檻の中に留まるか、それともその鎖を引き千切り、本当の自分を生きる一歩を踏み出すか。