今日、久しぶりにこの海を歩いた。
保育園の頃、溺れかけて見知らぬ誰かに命を救われた場所。
そして、数年前の冬、自分が自分であるために何度も禊(みそぎ)で冷たい波に浸かった場所。
この海は、俺の始まりと、魂の浄化の記憶が刻まれている。
そして今日、この海を歩きながら、昨日自分が何をしたのか、改めて深く噛み締めていた。
昨日、オープンマイクという舞台に立ち、俺は自分の中に巣食っていた「審判官」を殺した。
ずっと自分をがんじがらめに縛り付けていた価値観があった。「普通でなければならない」「常識からはみ出してはいけない」「自分の中の最も暗い衝動を受け入れてはいけない」。
それらをすべて、舞台という場所でさらけ出し、叫び尽くした。
死ぬほど怖かった。みんなに引かれるのではないか、軽蔑されるのではないか。そう思って震えていた。
しかし、実際に舞台で叫んだ時、そこにいたみんなは俺を否定しなかった。彼らはただ静かに、あるいは笑いながら、そこにいた。
その時、ふと思い出したことがある。
かつて自分が、誰かの人生をかけた告白を聞いていた時、実は自分も同じように、何も特別な判断を下さず、ただ聞いていただけだったことを。
そう、みんな、誰かのことなんてそんなに深くは見ていない。
俺が一番恥ずかしいと思っていたことは、他人の目にはそれほど特別なことではなかったんだ。
自分という人間にしがみつき、主役として振る舞おうとするから、人生は苦しくなる。
他人の目という幻影に怯えるのではなく、自分自身を、まるで「他人」を観察するように見つめる。
そう決めた時、驚くほど世界が軽くなった。
昨日の舞台の後、何人かが「自分もさらけ出したくなった」と言ってくれた。
俺が自分を縛り付けていた檻を壊したことで、誰かの檻をも壊すきっかけになったのかもしれない。
もし、「これは人に話せない」という秘密を抱えている人がいるなら、伝えておきたい。
それを話せば話すほど、あなたは自分自身を「他人事」として笑えるようになる。
自分を客観視できた時、魂は本当の意味で自由になる。
昨日、審判官を殺した。
今日、この海を歩き、俺はまた一つ、新しくなった。
もう、何からも逃げない。
俺は、ただ俺として、この美しい世界を自由に生きていく。