母と歯医者、友達との会話の変化。 | 嫁姑、娘の習い事、私の好きな事、お家の赤裸々blog

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 娘と習い事に対しての向き合い方を模索したり、おっとり石や地層、バドミントンが好きな息子の事、旦那さんの事、嫁姑、義理家族...そして私のダイエット、大好きなオーストラリアや庭いじり等々(≧▽≦)
ちょっぴり赤裸々に、日記の様に書いてます。

今迄は、どこに行くにも親父と一緒だった母。親父が亡くなってからは、その一緒は私になった。
【娘=忙しい】と思ってはいてくれるも、やはりコロナ禍だしお友達と会うのは避けているから、考える時間だけは沢山ある。

だからきっと本当に独りになったと実感する事も多いのだろう。 
家に居なくても病院で生きている、もう何処にも居ない...

ジワジワと思い知るのだろう。きっと親父も母を残して独り逝く事は心配、さびしさ、悲しさ...沢山の想いがあったろう。
でも
『お母さんを頼む』と私達子供達に言わなかった。そこにはきっと子供達がいるから大丈夫と言う思いがあったのか...それは解らないけれど。

旦那はお父さんが亡くなる時に
『お母さんを頼む』と言われた。その遺言は逝ってしまう義父には、義母を残して逝く事への心残りや心配、悲しみ不安を息子である旦那に託した。
それは旦那を縛る事になるとは思わず、ただ託したのだろう。

その言葉を旦那は守る様に生きてきた。それは自分の家庭を持ってもなかなか変われなかった。

頼む...と言う言葉はとてつもなく重いんだと結婚後に知った。


この所、軽く胃腸炎で腹痛や胃痛が常にあったけれど母は『大丈夫?』と言いながらも買い物に行きたい、家のここがちょっと変なの見に来て欲しい等、伝えてくる。

毎日、1時間は行く様にしてはいる。親父が入院していた頃と何ら変わらない忙しさだ。
弟は離れているから数週間に1度泊まりでくれば後は私だ。

『片親になると途端に大変になるよ💦』
友達がそう言っていたのを思い出した。そしてママ友も皆、徐々に話す事は介護について、親の事が多くなった。

そして自分の老後について考える様になった。誰だって子供達の世話になんかなりたくない。子供達のお荷物になんかなりたくない。
でも、それとは反対にきかなくなる身体の自由や記憶の低下...不安にならない訳がない。

そうは思えるものの、結局自分がまだその年齢ではないから本当の所は解らない。

最近【こども食堂】は良く目にするし耳にする、でもお年寄り食堂も、あっても良いと思う。


昨晩、母から
『歯の詰めてあるのが取れたから歯医者に行きたいからJRの駅まで乗せて行って欲しい』とLINEがきた。

元々近所の先生が何人もいる歯医者にかかっていたけれど、そこで担当してくれていた先生が独立したので、わざわざ遠くなった先生の所へ親父と2人で通っていた。

このコロナ禍、割と混む電車、親父の入院、死、兎に角余り休まっていないだろう。身体も少し弱っている所に電車...。
車で行こう!母は時間が読めない事、歯医者さんに駐車場がない事、アレコレ言っていた。


風が朝から強いから電車も止まりかねない、途中道が混んでいたから裏道も使い歯医者さんには余裕で間に合い、近所のコインパーキングに車を入れられた。

『悪いわね、いつもごめんね』
と言っていた。きっとこれからもこうして面倒を見ていくのだろう。後、10年とか頑張れるのかも知れないし、数年なのかも知れない。

でも振り回されたと思わず、上手く自分の時間を作ろう!