こんばんは!

 

久しぶりのブログとなってしまいました。実は風邪をひいてしまい、体調がすぐれなかったためブログの更新が遅れてしまいました。
申し訳ありません。
 

今日は、タイトルにもある通り、「モオツァルト 」という小林秀雄さんの書かれた評論文を読んで考えた事を書いていきます。
 

私が小林秀雄さんを知ったのは高校生の頃で、学校の先生が「最近のセンター試験では京大の2次試験で扱うぐらい難解な文章を書く小林秀雄の文章を出すことがあったから、今のうちから難しい新書を読むようにしとしたほうがいいぞ!」という事をよくおっしゃっていたため、その時に知りました。
 
今回、私が敢えてこのような難しい本を読もうと思ったきっかけは茂木健一郎さんの本を読んでいた時に、この本が彼にとって大切な1冊になっているという事を知ったからでした。
「脳科学者の脳に大きな影響を与えた本をとはどのようなものなのだろうか?」という、興味心から私はこの本を読み始めました。
 
そして、実際に読んで見るとこれがまた、難しい。特に「1つの1つの言葉の解釈の幅が非常に広い事」に苦労しました。そして、文章がほとんどがそのような言葉で埋め尽くされているため、読むのにも非常に時間がかかりますし、非常に疲れるので私は隣に饅頭をおいて、こまめに脳に糖分を送りながら読み進めていきました。
 
そして、ついこの間やっと1回目を2週間ぐらいかけて読んだのですが、結局1回読むだけではよくわかりませんでした。
1回読んでよく分からないのは夏目漱石の小説もそうなのであまり、私にとって珍しくはないのですが、1回読み終わってからまた、2回目を読もうという気力がなかなか出ないのは小林秀雄の作品が初めてでした。
今も、まだ気力を蓄えている段階です。
 
「では、よく分からなかったのなら、今回は何について書くのだ?」
 
と、おそらく皆さん思っていると思うのですが、よく分からなかったけれども、一部はなんとなくわかったので、今回はその僅かなわかったことから考えたクラシック音楽(今回は音だけを用いたものに限定)が音楽的に最もすぐれているのか?という事について書いていこうと思います。
 
皆さんは音楽は好きでしょうか?
どんな音楽が好きでしょうか?
 
ちなみに私は普通にポップソングが好きです。
 
では、よく音楽関係者や愛好家がクラシック音楽を褒め、「現代のポップソングなどもはや、音楽ではない。」や「クラシックの方がポップソングよりも優れている。」というのを聞いたことが無いでしょうか?
 
私はこの様に音楽関係者達がポップソングを蔑ろにすることに対して、反感を持っていました。
 
「クラシック音楽は音ばかりで何もメッセージ性が無いではないか!ポップソングはメッセージ性があり、また、聴くことにより、楽しい気分になったり、悲しい気分になったりなど私たちの感情に直接的に関わってくるので、むしろ、ポップソングの方が優れているのでは無いか?」と思っていたのです。
 
しかし、今回「モオツァルト」を読んで、私の音楽観は訂正され、そして、ついに完成しました。
 
それは「クラシックの偉大さは音だけでそのメロディーが意図する世界を私たちに想像させ、ポップソングなどと並んで今も音楽の一部として多くの人に楽しんでもらっているということなのではないか」ということです。
肉声という大きなアドバンテージを持っているポップソングなどとほぼ同じくらいのメッセージ性を持っているということ、これが素晴らしいことなのでは無いかと、思いました。
 
では、音しかないクラシック音楽の何が私たちの感情を動かしているのか?
 
私には原因として空気の振動による鼓膜の振動の仕方しか考えられません。
 
しかし、鼓膜の振動というただの物理現象だけで私たちの感情を動かすことができるのでしょうか?
 
言葉という意味を持ったものとは違い、ただの揺れであるこの物理現象の持つ力を私達はまだ、完全には知らないのかもしれない。
 
そんなことを思った、ついこの頃でした。
 

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