こんばんは
今回のタイトルは「心が温まったー」ということで、この間、私が人生でも指折りに心が温まった瞬間について書いていこうと思います。
突然ですが、私には異性の友達が全くいません。
理由は自分でもだいたい、わかっていて異性を目の前にして話すと、どうしても目を合わせての会話ができないのです。
そのため、相手からすると「何か隠しているのではないか?」などの不信感を持たせる結果になり、異性の友達が出来ないのだと思います。
そのため、これまで1度も彼女が出来たことはなく、学生時代はそのように彼女がいる友達を羨み、そして、その対極にいる自分の境遇を悲観することがよくありました。そして、現在はそのような「彼女」というものの存在を否定するために、「より高いもの(学問など)を追求する自分の方が『彼女』がいて、楽しそうにしている友達より価値があることをしているんだ!」と思う様に強いて努力してきました。
「この人はなんてことを考えているんだ?」と思う人もいると思うかもしれませんが、そうとも思わなくては、日々、生きていくことも辛くなってくるのです。
でも、多分、この気持ちに共感出来る人もいるのではないでしょうか?
愛し合う人がいる人はなかなか共感できないものなのかもしれませんが・・・。
でも、心の奥底では
「本当は人に愛されたい!」
「彼女といろんなところに行って、いろんなことを話したい!」
といつも思っています。
そんな日々が続いていました。
特に最近はその様にして、愛を拒絶し続けるのに疲れ、映画や本を読んでもどこか頭が重く、また、体もだるい感じがして、すっきりしない日々が続いていて、何をする気にもなれませんでした。
これは温泉にも行ったり、おいしい物を食べても治ることはありませんでした。
そんな私にこの間、学生時代の後輩と電車の中で遭遇する機会がありました。
その後輩は学生時代からあまり、異性と話さない自分によく話しかけてくれる優しい人でした。
その電車の中でも、私にずっと話しかけてくれました。
話しているときは特に何も変化は感じなかったのですが、話し終わってからしばらくすると、なんだか心があったかく、そして、体が軽くなったような感じがしました。
このブログを読んではいないと思いますが、ここで感謝の言葉を述べておきます。
本当にありがとうございます!
とても、心が温かくなりました。
学問にはない人の心の温かさ、それを感じることが出来た貴重な時間でした。
また、私はその時に同時にあることに閃きました。
「やはり、人にとって『人に愛されること』は必要なんだ!」という事に。
「こいつは人と話して何を考えているんだ?気持ち悪いな。」
と思ったかもしれませんが、普段、愛とは無縁の冷たい生活を送っている自分のような境遇の人であれば共感出来る感情だと思います。
私のような境遇にある人にとってはほんの数分間の会話だとしても、とても意味があり、幸せなものなのです。
また、人にとって「人に愛されること」だけが結局は必要であり、重要なのではないのか?
また、そうであれば私がこれまで頑張ってきたのは何なのか?
いくら、お金をたくさん儲けたり、歴史に名を残すようなことをしたとしても、それで一生、人に愛され無かったら、やっぱり、だめなのではないか?
とも感じました。
そして、これからは昔のように愛を重要視して頑張って、彼女を作ろうかと思いました。
しかし、その後よく考えた結果、私はやはり第3夜でも書いた通り、他の生き物への責任を考えると、自分は「恋愛」を犠牲にして、働くべきなのかなと思いました。
需要の無い人が無理に供給しようとするのではなく、需要がない分野はさっさと諦めて需要がある分野に集中しようと思ったからです。
ハァーーーー。
仕方ないか。
そういう風に生まれたんだし。
まぁ、いいや!
頑張ろう!
と、思ったついこの頃でした。
今回のブログはどうでしたか?
他人から愛されたことがない人が「愛」について書くとこのような寂しい内容になってしまいます。
すみません。
コメント募集しています!
ブログを読んでくださる皆様、いつも有難うございます。