こんにちはウインク

さいたま市でレイキ教室を主催しています、

チカコです。

 

いつも当ブログをご覧いただきまして、

ありがとうございますドキドキ

 

今月はレイキについて書いてみよう!

ということで。

 

レイキとは?

というところから、

歴史の始まりを書き記してみました。

 

【レイキ①】あなたの中の眠るもうひとつの世界☆レイキってそもそも何?

 

【レイキ②】それはハイカラな時代から始まった☆ー歴史からレイキをひも解く

 

今回は歴史のお話、第2弾です。

 

 

前回のページでは。

 

臼井甕男氏が、

鞍馬山での修行の末、

靈氣を体得し、

 

 

晩年に至るまで、

靈氣を伝授できる「師範」を21人育て上げました。

 

そして、その中の一人に、

海軍大佐であり軍医でもあった、

林忠次郎氏がいました。

 

というところまで、ご案内しました。

 

 

今回はこちらの林忠次郎氏に、

フォーカスします。

 

現在、私達が実践している靈氣は、

林忠次郎氏の積極的な活動無しに、

語ることはできません。

 

後に林氏は靈氣を、

国内にも海外にも広めていくことになります。

 

林氏は靈氣の師範となった後、

大正14年に、

「林靈氣研究会」を立ち上げます。

 

当時は研究会といっても、

 

靈氣を施術できる人は16人、

ベッドを8台構える、

大きい治療所のようなスタイルでした。

 

 

そして、

林氏はかつて海軍大佐を務めていましたが、

当時の靈氣は海軍の人達とも、

つながりがあったようです。

 

 

 

当時を知る人達の話によると、

靈氣は海軍の人々に多く採用されていたようです。

 

推測になりますが。

 

その背景は、

前ページの臼井甕男氏が、

政治家の秘書を務めていたこと。

 

そして当時の海軍は、

最先端のものや、新しいものを、

柔軟に取り入れる姿勢があったことです。

 

海軍の船や潜水艦には、

食糧や物資、医薬品も持ち込まれましたが、

持ち込める重量には制限がありました。

 

この点、

靈氣は物資としての重量はありません

 

そして、航海中に、

何かしらの病気や怪我が発生しても、

いつでもどこでも靈氣治療を行うことができます

 

(当時の靈氣は、

ストレスケアというよりも治療法として認識されていました。)

 

このような理由もあり、

靈氣は海軍や、軍港があった地域を始め、

国内に広まっていったのです。

 

 

そんな中。

 

昭和10年。

ハワイから難病を抱える日系女性、

高田ハワヨ氏が治療のために来日します。

 

 

(ウィキペディアリンクより)

 

高田氏はハワイのホノルル生まれの、

日系アメリカ人。

 

ハワイで結婚した後に、

夫に先立たれたのですが、

二人の娘がいたので必死に働いてきました。

 

ところが、

働き過ぎがたたったのでしょうか、

気付けば体はボロボロ。

 

精神的なうつ病に、

子宮には腫瘍、

胆嚢には胆石、そして肺気腫。

 

35歳にして、

複数の病気にかかっていたのです。

 

今回の来日は、

日本の肉親に子供を預け、

手術と治療に専念する為の来日でした。

 

そして。

 

体の休養と肺気腫の治療を行い、

いざ病院で手術をしましょうと、

手術台に上がった時。

 

不思議なことが起こりました。

 

どこからともなく、

 

「手術の必要は無い。」

 

という声を聞いたのです。

 

しかもその声は数回繰り返され、

3回目はとても大きく聞こえたように思えました

 

そこで高田氏はくるりとシーツに体を包み、

手術台を降りると。

 

医師に、

 

「手術以外の他の可能性がある方法は、

無いのでしょうか?」

 

と尋ねました。

 

その医師は、

 

「もしかしたら時間はかかるかもしれないが・・・」

 

と、近くの林靈氣研究会を紹介してくれたのです。

 

 

 

高田氏はその後、

林靈氣研究所で治療を受け続け、

4ヶ月かけて完治しました。

 

病気が治った後、

靈氣の素晴らしさに感動した高田氏。

 

自らも林氏に弟子入りし、

半年かけて靈氣療法の、

技術を身に付けていきました。

 

そして半年の修行後、

健康体になった高田氏はハワイへと帰国しました。

 

 

帰国後の高田氏は、

ハワイに靈氣の治療院を開設。

 

現地の人からも好評だったようです。

 

更に昭和12年10月、

高田氏は林氏をハワイに呼びます。

 

林氏は靈氣治療を行ったり、

大規模な講習会や伝授会も開催

 

滞在も数か月だけいるはずが、

伸びに伸びて5か月の滞在となりました。

 

それだけ現地での日々は濃く、

充実していたのだと思われます。

 

言語と人種の壁を超えて、

沢山の人々に靈氣が使えるように指導し。

 

沢山の幸せな思い出と共に、

ハワイを後にしたのでした。

 

 

こうして、

日本でもハワイでも、

沢山の人々に受け入れられてきた靈氣(レイキ)。

 

 

しかしこの後、

時代の大きな渦に飲み込まれていくことになります。

 

 

林氏がハワイを後にした、

翌年、昭和14年9月。

 

ドイツ軍がポーランドを侵攻。

 

そして、続くように、

ソビエト連邦がポーランドを侵攻。

 

歴史に残る大きな戦争が、

日本に迫っていたのでした。

 

 

今回はここまで☆

 

長くなってしまうので、次回へ続きます。

 

【レイキ④】時代の渦の中へ☆そして再び日本へ〜歴史からレイキをひも解く

 

最後までお読みいただきまして、

ありがとうございます虹

 

 
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(※今回の歴史的内容は、ウィキペディア及び、

山口忠夫先生の著書、

香りの森の仁科先生のHPも参考にさせていただきました。

もし内容に間違いや誤表記などあればご連絡ください。