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It became it so why

VF5Rブログではなくなりました。

たまには、携帯から書いてみる。


3つのミスより1つの良い仕事を誉めた方が、人を使うという意味では正しいかと思うが、当然ミスを咎めないと繰り返してしまうタイプの人もいるから難しい所だ。
しかしこれは一切のミスが無い上司が選択する事で成立する悩みだとも思うし、だいたいが『人を使う』って言葉や行為そのもの自体に、本来は制約や考慮といったモノがワンクッション挟まれるべきだと思う。


仕事という事柄は突き詰めれば人と人とのコミュニケーションである。

農作物の生産も、証券販売も、国家公務員も、介護福祉も、広告代理店も、お祭の出店も、携帯電話の製造工場も、タレントも、土木作業員も、独りで作る伝統工芸職人ですらも

たとえ仕事自体に対人業務がなくとも、全てにおいて最終的には人と人とのコミュニケーションにたどり着くはずだ。

その会社のというか、社会の中の一人という以前に、貴方も私も人間である。

一般的に子供でない大人という常態の人間は、義務教育上での学校教育と、自立するまでの親の育て方にどこかで芽生えた自我が絡み合い、社会に出た後に良くも悪くも精製される。
だからと言って、別に人格の完成など初めから終わりまであり得ない。
他からすれば死後に周りの人が持っていて残ったイメージがその人でしかない。
生きてる途中で『私という人間はコレだ!!』と悟ったならば、ソレは客観的には意味のなさない究極の自意識過剰とも言える。

ともあれ、社会においては人間同士のコミュニケーションが全ての根幹にあるのだ。

簡単に言えば『周りをよく見ろ』と、自分を見つめ自己を確立させるのは先でもいい。というか一朝一夕で出来る事でも何でもないのだから、まずは自らが置かれている状況と周囲の人間を見つめる事が必須だろう。
もちろんソレが必要な時期は人によって違うだろうし、見直した状況や人をどう判断し、どう絡ませあるいは絡ませず生きていくかは、自らのみが決める事で誰かに押し付けられるモノでもない。

『他人に合わせて生きた方が楽だ』

と言いたいのではない。
『自分だけ見て自分をしっかり持たなきゃダメだ』

とも言ってはいない。


ただ少しでいい、周りに居る人を見て、自分と同じ人間であると認識した上でのコミュニケーションを取った方が良い。


その簡単な事を出来ない人間が老若男女問わず多すぎると感じるから。