<<事情立場状況洞察>>
犬にはそれぞれ、背負ってきた歴史背景がある。
そしてそれぞれの犬に、
その時その場の、事情と立場と状況というものがある。
それを飼主は一瞬一瞬に、本気で深く洞察していくべきだ。
どれほど穏やかだろうが、どれほど躾訓練が成されていようが、
それとは「別の話」として、飼主は洞察していかねばならない。
そういう日常の努力を怠る人が多過ぎるように感じてならない。
そういう努力を怠る人は、
たとえばアクシデントの原因理由も分からないで終わるだろう。
そしてまったく「とんちんかん」な対応をすることになるだろう。
そして「とんちんかん」な対応をすれば、悪循環を招くことになる。
日頃から本気で洞察していけば、原因理由は明らかに見えてくる。
そして「対応」も、直感的に直観的に分かるようになってくる。
そしてもうひとつ・・・・・・
「エネルギーの大きな犬」と本気で暮らす場合、
精神エネルギーの小さな飼主には、やはり難しい局面が訪れる。
その解決方法は、ただひとつ!!
その飼主自身が、自らの精神エネルギーを大きくしていくことだ!!
精神エネルギーが大きくなると、身体のエネルギーも大きくなる。
そしてさらに飼主は自分の身体の「身体操作」を覚えるべきである。
「身体操作」は、とくに強力犬と暮らすには、必須の条件である!!
たとえ非力な人でも、身体操作如何で、何倍もの力を発揮できる!!
日頃から、リードを手にした瞬間から、身体操作を意識していく!!
手先。掌。手首。肘。肩。背中。腰。膝。足首。足裏。足先。。。
そういう各部を瞬間に連結させて「全身力!!」で挙動していく。
たとえば、もし引っ張られた際にも、
「腕で引き戻す」のではなく、自分の身体を瞬間に「塊り」にする。
・・・犬は、本能深くで、その人の「エネルギー」を見ている。
そこには決して他意は無い。他意は無いが、本能深くで見ている。
そして本能深くで、その人の大きなエネルギーに敬意を覚える。
そしてそれぞれの犬に、
その時その場の、事情と立場と状況というものがある。
それを飼主は一瞬一瞬に、本気で深く洞察していくべきだ。
どれほど穏やかだろうが、どれほど躾訓練が成されていようが、
それとは「別の話」として、飼主は洞察していかねばならない。
そういう日常の努力を怠る人が多過ぎるように感じてならない。
そういう努力を怠る人は、
たとえばアクシデントの原因理由も分からないで終わるだろう。
そしてまったく「とんちんかん」な対応をすることになるだろう。
そして「とんちんかん」な対応をすれば、悪循環を招くことになる。
日頃から本気で洞察していけば、原因理由は明らかに見えてくる。
そして「対応」も、直感的に直観的に分かるようになってくる。
そしてもうひとつ・・・・・・
「エネルギーの大きな犬」と本気で暮らす場合、
精神エネルギーの小さな飼主には、やはり難しい局面が訪れる。
その解決方法は、ただひとつ!!
その飼主自身が、自らの精神エネルギーを大きくしていくことだ!!
精神エネルギーが大きくなると、身体のエネルギーも大きくなる。
そしてさらに飼主は自分の身体の「身体操作」を覚えるべきである。
「身体操作」は、とくに強力犬と暮らすには、必須の条件である!!
たとえ非力な人でも、身体操作如何で、何倍もの力を発揮できる!!
日頃から、リードを手にした瞬間から、身体操作を意識していく!!
手先。掌。手首。肘。肩。背中。腰。膝。足首。足裏。足先。。。
そういう各部を瞬間に連結させて「全身力!!」で挙動していく。
たとえば、もし引っ張られた際にも、
「腕で引き戻す」のではなく、自分の身体を瞬間に「塊り」にする。
・・・犬は、本能深くで、その人の「エネルギー」を見ている。
そこには決して他意は無い。他意は無いが、本能深くで見ている。
そして本能深くで、その人の大きなエネルギーに敬意を覚える。

写真は1995年と2003年。
北極エスキモー犬の「王嵐:オーラン」の1歳半と10歳当時。
「PolarEskimoDog」というのは、ハスキーやマラミュートとは違う。
彼は普段は「実に泰然とした静かな力持ち」なのだが、
彼の心身の奥底には、「野性フォース!!」が満ち満ちていた。
それは闘犬種のパワーとも異なる、独特の圧倒的パワーである。
それを真に理解していなければ、様様な不測事態を呼んだだろう。
そしてその野性フォースを理解できなければ、
それはすなわち、「彼を否定する!!」ということである。
人間の都合だけで犬を見ると、その犬を否定することになる。
その犬を否定しながら「対話」など、成されるはずが無いのだ。

「1995:オーラン:1歳半」

「2003:オーラン:10歳」
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:07:05 ≫