<<ボス犬の矜持と覚悟>>
 
ほんとうならば、人間が犬のボスになるのは容易ではない。
なぜなら犬のボスというのは、ほんとうは凄いからだ。
犬達は実は、人間に対して大目に見てくれている。
ボスとして頼りなくとも、大目に見てくれているのだ。
そういう彼らの大度量に人間は感謝しなくてはならない。
 
「ボス」というのは支配者のことではない。
それは当たり前のことなのだが、
当たり前のことを知らない人が多いようだ。
ボスというのは「群れを導く使命の者」である。
群れを導くための実力と覚悟を持つ者である。
たしかにボスには「力」が必要だが、
しかし「力」だけではボスになることはできない。
力は必要だが、力だけではボスになれないのだ。
その者に「ボス精神」が欠けていれば、
群れの者達は、決してボスとは認めないのだ。
だから犬達のボスの条件というのは、
ほんとうは、もの凄く厳しいのである。
 
ボスは目に見えない重圧と闘い続ける。
その使命の重さに、無言で耐え続ける。
それを考えただけでも、ボスの凄さが分かるはずだ。
だから群れの者達は、真のボスをリスペクトする。
リスペクトすると同時に、真のボスを心から慕う。
もし人間の主人が真のボスとして認められたなら、
そこには巷で問題とされる飼犬問題など起こらない。
もし犬との生活に悩む人がいたならば、
その人は「真のボス」というものを理解すればいい。
真のボスの命懸けの使命感と覚悟を目ざせばいい。
それは難しいことだが、目ざし続ければ近づくことはできる。
犬達は、その真摯で真剣な姿に感銘し、協調を努力する。
犬達は、その人のその精神の姿勢に感動するのである。
 
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「北極犬:POLAR・ESKIMODOG」のボス犬。
彼はボスであると同時に先導犬だった。パワーと覚悟の塊りだ。
北極犬の体格は雄のシベリアンの1・5~2倍くらいだ。
 
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4月29日。野性の森。
これまでの代代のボスたちのホウルが今も聴こえる。
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:04:30 ≫