<<咬む状況・咬む事情>>
一言に「咬む」と言っても、状況は千差万別だ。
その「程度」も様様だし、その「理由」も様様だ。
だから決して一纏めに一概に「咬む」で片付けられない。
その状況と程度を詳しく把握し、そして理由を洞察する。
その理由を理解できなければ、問題の解決はできない。
理由を理解するには、その犬の心境を知らなければならない。
その時のその犬の心境を深くイメージして理由を洞察していく。
たとえば・・・・・
■「やめてください!!」と、相手を手で振り払う感じ。
■「いくらなんでも酷すぎる!!」と、胸元を両手で突く感じ。
■「怖くてたまらない・・わあああ!!」と、拳を振り回す感じ。
■「いい加減にしてよ!!」と、軽く平手打ちするような感じ。
たとえばこんなような感じの「咬む」の場合もあるだろう・・・・
犬は全身の気配や表情や発声で意思表示しているのだが、
人間は鈍感だから犬の意思表示に気づかないことが多い。
そうなればやむなく「咬むという表現」までいく場合もある。
人間の皮膚は弱いから、少し咬まれただけでも血が出てしまう。
それが同体格の犬同士ならば大きな問題にはならない「咬む」でも、
対象が人間だと「怪我」になってしまうのだ。そういうことである。
しかしこれらは「攻撃」とは全く違う。まだ「防衛」にも至らない。
犬が本気レベルで防衛や攻撃をしたならば尋常な怪我では済まない。
犬達は普通は人間相手に本気の領域には行かない。つまり加減する。
「咬む」と言っても実際には自分なりに自制し、程度を加減している。
しかし中には加減を忘れる犬も存在する。
その犬の精神深くに烈しい憎しみが潜んでいる場合だ。
そういう犬の場合には精神の回復は容易ではない。相当に難しい。
その犬の精神深くまで辿り着くことができなければ対応はできない。
その犬の精神深くまで辿り着くには、その人に「心気力」が必要だ。
長くなるので心気力の説明は省くが、
ごく簡単に言うならば、深静境地の覚悟と胆力と極集中力である。
もちろん、その犬の「気性」も大きくかかわる。
凄く短気な気性。興奮性の気性。もの凄く剛胆な気性。などなど。
同じ場面でも、犬の気性によって、展開は大きく変わるのだ。
気性によって「咬癖」となってしまったら、回復に時間を要する。
犬によって要する期間は様様に異なる。決して一概には言えない。
半年。一年。あるいは何年も。あるいはさらに何年も。いろいろだ。
そういう場合は犬舎の施設内容も重要になる。施設に配慮が必要だ。
この「時間」というものを軽視する人が多いようだが時間は重大だ。
回復するには時間もまた重大ファクターなのだ。それを肝に銘じる。
もしその犬を本当に愛しているならば、期間など気にしないことだ。
期間を気にするようであれば、その犬を回復させることはできない。
その犬にとって、どういうことが理不尽なのか??
その犬その犬で、理不尽の基準が微妙に異なる。
だからその犬にとっての理不尽というものを理解する。
たとえば一人の主人にしか心を許さない犬もいる。
「一代一主」の美学で一人の主人に忠義を尽くすタイプの犬だ。
決して第三者に攻撃的なわけではないが、命令は受け付けない。
第三者を敵視はしないが、だが命令は受け付けないということだ。
もし第三者が力で強引に制御を試みれば咬まれることもあり得る。
そういう犬もいることを知ることが必要だ。
その犬の真情を、その犬の美学を、理解することも必要である。
それを理解できる人を、そういう犬は心深くで見抜く。
その人が第三者であっても、やがて敬意を払うようになる。
あるいは「闘犬」の攻撃性というものがある。
もちろん大らかで穏やかな個体もいるのだが、
実戦血統の場合には多くが強烈な闘争性を秘めている。
もちろん主人には可愛い可愛い忠実犬だが、
他者に対しては「別の話」である。特に動物に対しては。
この「別の話」ということを理解できない人が多いようだ。
「別の話」ということを理解できないと事故を起こすだろう。
本物の実戦闘犬の歴史がどういうものか知るべきである。
どれだけ常軌を逸した残酷な方法で闘争心を先鋭化されてきたか。
どれだけ延延と際限なく残酷無慈悲に闘争心を求められてきたか。
そういう実態を知れば、「別の話」という意味が分かるはずである。
片や際限なく「闘争心」を求める人人がいる。
片や「穏やかな社会性」を求める人人がいる。
まったく真逆の要求の間で、闘犬たちは振り回されてきた。
闘犬たちは、はてしなく人間の矛盾した要求に振り回されてきた。
世界中で闘犬試合が行なわれている。大昔から現在に至るまで。
海外ではアンダーグラウンドの場合が多いから取締りも極至難だ。
「人間の残酷心」が消えない限りは無慈悲な闘犬は続くだろう。
人間というのは残酷なのだ。はるか大昔から残酷だったのである。
犬は「牙」でいろいろと表現する。
牙は攻撃のためだけにあるのではない。
時には牙で繊細な愛情表現もする。様様な伝達をする。
そういうことも知ってもらいたい。
そういうことを知れば、もっともっと犬と対話できる。
まだまだ書き足りないのですが、ほんの一端なのですが、
「咬む」について書くと非常に長くなるので、この辺で終わります。
もし悩む人がいたなら遠慮なく連絡ください。知る限り応えます。
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■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:04:30 ≫