<<共感空間>>
 
犬達と共感する。いつでもどこでも。
山の中でも家の中でも場所を問わずに。
家の中でも大勢の犬達と一緒に過ごしてきたが、
私が犬舎に入って犬達と一緒に過ごす日も多い。
冬は氷点下20度世界だから無理に近いが、
暖季には犬舎で犬達と一緒に寝る日も多い。
真暗闇の森の中で、犬達と一体となる感覚だ。
深静の夜の森で一体となる感覚は素晴らしい。
 
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「1997:ここで寝る日も多かった」
 
たとえ一緒に家の中で生活しても、
そこに共感が無ければ犬は逆に苦痛になる。
常に人間の都合に合わせることになるからだ。
絶え間なく気を使って生活することになるからだ。
あるいは子供がいれば玩具扱いされることも多い。
とことん犬は「絶対無抵抗」を強要されるのである。
あるいは犬を嫌いな家族がいれば犬は大苦労する。
その人からのプレッシャーに常に責められることになる。
犬は非常に気を使うのだが、それを分からない人も多い。
犬が人間の都合に合わせて非常に気を使っていることを、
それを分からない人が多すぎる。気づかない人が多すぎる。
あるいはどれだけ立て続けに自分がコマンドを発令しているかを、
どれほど多くの命令で自分が無意識に犬に要求し続けているかを、
そういうことを自分で気づいていない人が多すぎる。
犬達が文句も言わずに従っているから気づかないのか。
文句も言わずに従っていても、そこには犬と主人の共感は無い。
そこにあるのは、ただ飼主の自己満足だけである。
それは共感とは懸け離れた思い込みの自己満足に過ぎない。
もしそこに真の共感があるならば、一緒に過ごす時間は幸せだ。
一緒に幸せに過ごすには、そこに真の共感があってこそである。
 
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「2003:オーラン:10歳」
 
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「1994:オーラン:1歳」
 
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:04:25 ≫