<<生き地獄>>
「生き地獄」という言葉は、よく使われるが、
世界には正真正銘の「生き地獄」が存在する。
それは、生でもなければ死でもない、極限極苦境だ。
いかなる人間も耐えることの不可能な極限極苦境だ。
いろんな動物達が、この生き地獄に連れ込まれる。
心を失った非情人間に連れ込まれるのである。
昔から激痛激苦に悲鳴を上げる動物達の夢を見てきた。
それは、いろんな動物や鳥の、極限の痛みと苦しみだった。
その生き地獄の光景は、忘れようにも忘れることはできない。
そして後年、それが事実であることを知った。
世界中で行なわれている「現実」であることを知った。
まだ何も知らないころから見た夢は、現実だったのだ。
生でもなく死でもない極限境が、どれほど耐え難いか。
どれほど耐え難いかを想像できない人は少ないはずだ。
もし想像できないとしたら、その人の感性は死んでいる。
もし我が身に置き換えれば、どうだろう?
耐えられる人は、いるだろうか?
自分が耐えられないことを他者に行なうことが、
それがどれほど道理に背理していることか。
どれほど重い背理かを真剣に考えるべきである。
この現世に生まれ、
「命」として生きられなかった命達がいる。
「命」として生きることを赦されなかった命達がいる。
生でもなく死でもない極限の生き地獄の中で、
延延と一刻一刻を、究極に耐え続けるだけの命達。
その極限極苦境の命にとって、唯一の救いは「死」である。
「肉体の生存を終える」ことだけが、唯一の救いなのだ。
唯一の救いが「死」であることを、
普通に暮らしている人は理解できないかも知れない。
だが想像してみて欲しい。我が身に置き換えてみて欲しい。
たとえば「熊の胆」「動物実験」「毛皮」などを、
「YOUTUBE」で探してみれば、少し分かるはずである。
人間はここまで残酷になれることも分かるはずだ。
もし人間が科学を自慢するならば、
異種の命を苦しませない手段を実現すべきだ。
それが真の科学だろう。それが真の文化だろう。
■南無華厳 狼山道院■
≪ 2014:02:08 ≫